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キン肉マンTシャツがバカ売れのバンバンビガロ社長!なぜプロレスオタクが業界革命児に?

構成=大谷弦/清談社
キン肉マンTシャツがバカ売れのバンバンビガロ社長!なぜプロレスオタクが業界革命児に?の画像1高円寺BAMBAM88」より

 アニメの商標を用いたTシャツやグッズでは、『機動戦士ガンダム』(テレビ朝日系)に次ぐ売り上げや市場規模を誇る「キン肉マンマッスルアパレル」。東京・下北沢の小さなTシャツショップだった「バンバンビガロ」(現在は高円寺に移転)のオーナーが、オヤジ世代に根強い人気を誇る『キン肉マン』(日本テレビ系)の商標を獲得し、アニメものながら、大人が街で着られるオシャレなアパレル商品を次々と開発しているのだ。

 Tシャツ業界の革命児ともいわれるバンバンビガロ社長の池上且宏氏にインタビューを行い、キン肉マンTシャツ誕生の裏側やヒット商品を生み出す秘訣を聞いた。

大学中退→アパレル会社→28歳で300万円貯めて起業

–バンバンビガロといえばキン肉マンのアパレル商品が有名ですが、プロレスや格闘技をモチーフとしたTシャツも数多くリリースしています。

池上且宏氏(以下、池上) 僕は福岡県出身で大学入学と同時に上京してきたのですが、学校に行かず、プロレスばかり観ていました。バイト後に友達とプロレスのビデオを朝まで観て、寝ずにパチンコに行き、それからまたバイトという生活です。

 結局、大学を中退してアパレル会社のサラリーマンになりました。当時、原宿の竹下通りにコロッケさんや山田邦子さんをはじめとしたタレントショップがたくさんあったのですが、そういう店で販売されるTシャツを製造する会社です。まだ日本の景気が良かったこともあり、ものすごい数が売れました。

–1980年代後半に起きた、芸能人のアンテナショップブームですね。ビートたけしや所ジョージ、とんねるずなどの店もありました。

池上 ところが、その会社では先輩社員がどんどん辞めていくんです。その時に「アパレルは、早く辞めて独立するしかない」と思い、僕も30歳までに独立すると決めました。そこで、納品でショップなどをまわる際に「どうやって開業したんですか?」とノウハウを聞き出し、店をオープンさせる場所をはじめ、人やお金などについて、どんどんリサーチしていったんです。

–早い段階から、起業しようという考えだったんですね。

池上 それで、下北沢に店を出そうと考えたのですが、開業資金として500万円くらい必要であることがわかり、週に3回、ラーメン屋で夜のバイトを始めました。朝4時まで働いて、ラーメンくさい体で風呂に入って、また9時に起きて……。まぁ、20代だったからできたのでしょう。会社のボーナスもなるべく貯金して、28歳までに300万円ぐらい貯めました。

「あと2年ぐらいで独立できるな」と思った時、「そんなにやりたかったら、100万貸してやろうか」と言ってくれる人が2人も現れて、資金の心配はなくなりました。そこで会社を辞めて、下北沢にバンバンビガロというショップを立ち上げたんです。

–「バンバンビガロ」というのは実在のプロレスラーの名前ですが、なぜこの店名に?

池上 僕が最初に両国国技館で新日本プロレスの試合を観たのが、ビガロが初来日した時で、ビガロを応援するための小旗のようなものを持たされたんです。それが僕の原点かもしれない、と思ったことと、名前のイメージからTシャツがバンバン売れるんじゃないかと(笑)。

山本小鉄の「とりあえず千回」Tシャツで大ブレイク

–最初から、オリジナルTシャツをつくっていたんですか。

池上 当初は「STUSSY」などを並行輸入するなど、インポートものがメインでした。もちろん、オリジナルTシャツをつくるというアイディアはあり、その時に考えたのがプロレスTシャツです。

 僕は、中学時代から集めていたプロレス関係の雑誌や本を全部東京に持ってきていたんです。そこで、まず、その中からいい写真を選んでTシャツにする「超暴走シリーズ」というのを始めました。当然、肖像権やライセンスのことも考えましたが、それほど売れるとは思ってなかったから、「やっちゃえ」と。

 その流れでつくったのが、「とりあえず千回」と書いてある、新日本プロレスの元鬼軍曹・山本小鉄さんのTシャツ。ある雑誌のグラビアで、PUFFYがそのTシャツを着てくれていたことがきっかけになり、問い合わせがドカーンと増えて、1000枚どころではなく売れました。さらに、『悶絶!プロレス秘宝館』(シンコーミュージック)というムック本でも、いろいろ紹介してもらいましたね。

–当初はカルト的な人気だったバンバンビガロですが、その後、プロレス好きや音楽好きなどの間で、知る人ぞ知るブランドになっていきました。

池上 でも、店が有名になったら、新日本プロレス側からライセンス問題を追及されまして……。もちろん、計算して全額お支払いしています。それからは、ライセンスについてクリアにし、新日本プロレスをはじめ、ミル・マスカラスやアブドーラ・ザ・ブッチャーなどの著名なプロレスラーに対して、こちらからライセンス契約を持ちかけてTシャツをつくるようになりました。

原作者に直談判してキン肉マンTシャツが誕生

–その流れで2000年に誕生したのが、キン肉マンTシャツですね。

池上 キン肉マンのTシャツをつくることができたらすごいなと思っていたら、たまたま作者である「ゆでたまご」の1人で原作担当の嶋田隆司先生とよく飲んでいるという知り合いがいて、「今度そういう機会があったら、僕も呼んでもらえないか」という話をしたんです。

 それで「今度、高円寺に集まるから来てもいいよ」という流れになり、嶋田先生に会いに行きました。その時、デザインをいくつか描いていって、その場で「こういうTシャツにしたい」と見せたんです。嶋田先生からは「バンバンビガロ、知ってるよ。やってみればいいんじゃない?」と言っていただいたので、そこから、先生監修のもとでTシャツ製作を進めていきました。

–池上さんには「自分なら、キン肉マンをもっとオシャレにできる」という思いがあったのですか。

池上 それはもう、昔から感じていましたね。ある意味、プロレスと同じ手法ですが、キン肉マンをモチーフにすればオシャレなものもつくれるし、ネタものもつくれる。絶対に売れるという自信がありました。

 ちょうど、僕自身も30代になり、いつまでもバカなTシャツを着ていられないな、という思いもあったので、自分の好きなモチーフで、少しずつオシャレなエッセンスも入れながら発信していこうと考えていたんです。

キン肉マンTシャツは、スタート段階から売れたのでしょうか。

池上 最初の年から1万枚ぐらい売れました。ただ、その頃のバンバンビガロは、K-1やアントニオ猪木さんのオフィシャルTシャツをOEM(相手先ブランド名製造)でつくっていたこともあり、キン肉マンは「あくまで生産ラインのひとつ」という感覚でした。

 ところが、04年頃にはK-1の人気が落ち着いてきた上、僕らがTシャツを卸していたスポーツグッズショップのワールドスポーツプラザが倒産してしまったんです。回収できない売掛金が負債になり、会社も大幅に小さくするしかなくなってしまいました。

–連鎖倒産の危機に陥ったんですね。

池上 当時、プロレスや格闘技がはやりすぎていたので、「もうしばらくブームは来ないな」と思っていたんです。しかし、キン肉マンはまだ大きくなる要素があると感じていました。

 そこで、少し仕掛けてみようと思い、今まで一緒に仕事をしたことのないデザイナーに声をかけて、新しいものをつくったんです。2008年にはキン肉マンの29周年イベントもあったので、その波に乗っかるしかないと思い、キン肉マンと「ニューエラ」のコラボレーション商品なども出しました。

–徐々にキン肉マンに特化するようになったんですね。

池上 そうですね。パルコから「キン肉マンで催事をやりませんか」というお話をいただき、まず栃木・宇都宮市のパルコでアニメ系グッズの催事に入れてもらい、東京・池袋のパルコでは単独でやらせてもらいました。

 その頃から、大手企業や販売店のアニメや漫画に対する見方が劇的に変わってきました。アニメや漫画は、以前なら「サブカル」カテゴリだったのですが、次第に「どんな世代にも売れる、メインの優良コンテンツ」というふうに、見る目が変わってきたんです。だったら、うちもキン肉マンに特化してしまおうと。現在、うちが出すオリジナルはすべてキン肉マンになっています。

キン肉マンの強みはキャラの多さ

–コンテンツとしてのキン肉マンの強さは、どこにあると思いますか。

池上 Tシャツやグッズをつくる側からすると、やはり強みはキャラクター数の多さですね。『ウルトラマン』や『仮面ライダー』もそうだと思いますが、怪人や怪獣がたくさんいるというのが人気の秘訣です。

 キン肉マンは、とにかく人気のあるキャラクターが多いので、うちにも「あの超人のTシャツをつくってくれ」など、熱心なファンの方の意見がたくさん届きます。

 キン肉マンの世界には「悪魔超人」もいて、そういうダークな属性はカッコよく表現しやすい。それに、「カレクック」や「ステカセキング」などのハズし系というか、原作での扱いは小さいけれどグッズはよく売れるというキャラクターもいます。やりすぎて「ミキサー大帝」や「ミスター・VTR」までいくと、全然売れなかったりするんですが……。

 それに、なんといっても、キン肉マンは現在も連載が続いている現役のコンテンツです。「昔好きだった」という層もいれば、20代や高校生にもファンがいる。そういう幅の広さがあると思います。

–実在する新日本プロレスのプロレスラーと超人たちのコラボTシャツなどもありますが、グッズから入ってキン肉マンファンになったという方もいますよね。

池上 あの企画は、こちらから新日本プロレスにプレゼンしたものなんです。超人と選手をマッチングするというシリーズで、最初は向こう側もあまりピンときていなかったようですが、とにかく棚橋(弘至)選手と「ロビンマスク」を合わせたいということで、まずデザインを描いて、ぶつけてみたんです。

–いつも、話がまとまる前に、まずデザインを描いてみるんですね。

池上 うちには、僕も含めてデザインをできる人間が3人います。とにかくスピード感重視で「デザインから納品までやりますよ」というのが、会社としての売りなので。

 ほかにも、阪神タイガースや中央大学のラグビー部とも、キン肉マンとのコラボをやっています。コラボものはもっと広げられるはずで、例えばキン肉マンとウルトラマンなど、ほかのキャラクターとマッチングしてもいいかなと思っています。

目標は2020年に「超人オリンピック」開催

–バンバンビガロは今年で創立20周年ですが、その成功を追うようにTシャツ専門のアパレル会社が増えました。

池上 Tシャツは衣類なのですが、表現の場であり、カルチャーであり、アートでもある。僕も含めて、Tシャツメーカーをやっている方々というのは、みんな本当にTシャツカルチャーが好きなんですよ。

 だから、もっといろいろな人が出てきて切磋琢磨し、いいTシャツを出していったほうがいいと思います。もちろん、キン肉マンだって、うちの独占ではないですから、やりたいというメーカーやデザイナーがいれば、どんどんやってもらいたいですね。

–バンバンビガロ20周年を記念して、中野ブロードウェイに直営ショップ「超人墓場」もオープンしました。

池上 ブロードウェイは空き物件がなくて、2年くらい探していたんです。だから、今年オープンすることができたのは運命的というか、いいタイミングなのだと思います。

–バンバンビガロとして、今後の目標は?

池上 20年には東京オリンピックがあるので、その年に「超人オリンピック」も開催したい。それまでに、もっとキン肉マンも盛り上げていければと思っています。

–ありがとうございました。
(構成=大谷弦/清談社)

清談社

清談社

せいだんしゃ/紙媒体、WEBメディアの企画、編集、原稿執筆などを手がける編集プロダクション。特徴はオフィスに猫が4匹いること。
株式会社清談社

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