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富士通、転落招いた醜い内部抗争…元社長同士が公然と潰し合い「業績悪化は社員のせい」

文=編集部
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富士通、転落招いた醜い内部抗争…元社長同士が公然と潰し合い「業績悪化は社員のせい」の画像1富士通本社が所在する汐留シティセンター(「Wikipedia」より/Flow in edgewise)

 東証2部上場のインターネット接続事業者(ISP)の老舗、ニフティは7月19日、上場廃止になった。富士通がニフティに対して株式公開買い付け(TOB)を実施して完全子会社にしたためだ。

 ニフティは1986年、富士通と日商岩井(現・双日)が共同出資して設立したパソコン通信サービス会社だ。99年に富士通が日商岩井から株式を買い取り、いったん完全子会社にしたが、2006年にニフティの株式公開に伴い保有株数を減らした。

 ニフティは会員数が減少し、業績が低迷していた。富士通は、コンピュータシステムの販売からインターネットであらゆるものをつなぐIoTやクラウドサービスに重点を移しており、ニフティの売却を検討してきたが、一転して完全子会社化に舵を切った。だが、富士通が欲しいのはクラウド事業部門だけで、ニフティの基幹サービスであるISPは売却される可能性が高い。

 ニフティは富士通のお家騒動の種だったが、“吸収する”ことで一応の決着をみたかたちだ。

業績が悪いのは社員が働かないから

 富士通がニフティのTOBを終了した直後の6月18日、富士通元社長の秋草直之氏が急性心不全で亡くなった。享年77。ニフティの売却をめぐり、経営陣が醜態をさらした際の中心人物である。

 秋草氏は1938年、栃木県生まれで、父親は元日本電信電話公社総裁の秋草篤二氏。61年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、富士通信機製造(現・富士通)に入社した。文系でただ1人、プログラミング部門に配属された。システムエンジニア(SE)という言葉がまだ一般化していないころで、「SE 1期生」を自認していた。

 以来、一貫してシステム開発部門を歩んだ。98年に59歳で社長に就任し、富士通の歴史上初めて生え抜きの文系出身で傍流の社長が誕生した。電電ファミリーの次男と呼ばれた富士通だけに、「親の七光りによるタナボタ社長」と指摘する声もあった。ちなみに、電電ファミリーの長男は日本電気(NEC)である。

 秋草氏の豪腕ぶりは、波風を立て続けた。秋草氏はハードからソフトサービスへの経営の転換をリードし、異業種との提携を推進した。ネット事業子会社のニフティを武器に、さくら銀行(現・三井住友銀行)と日本初のネット専業銀行、ジャパンネット銀行を2000年に設立した。

 だが、米国のITバブル崩壊とともに富士通の経営が悪化。01年、経済週刊誌のインタビューで、業績の下方修正を繰り返すことの責任を問われた際、「業績が悪いのは社員が働かないからだ」と言い放った。

 業績が悪化すれば、トップが責任を取るのが経営の大前提である。一般的に考えると、大赤字を出した責任は社長にあるが、そのトップが責任を社員に転嫁する発言は前代未聞だった。そのため「社長の器なのか」と資質を疑問視されたが、当人は多方面からの非難もどこ吹く風だった。

 03年4月、緊急会見が開かれた。2期連続の大赤字で、秋草氏が業績悪化の責任を取って辞任すると誰もが思った。確かに秋草氏は社長を退任し、後任には黒川博昭氏を指名した。ところが、秋草氏は代表権を持つ会長兼最高経営責任者(CEO)になり、富士通の最高権力者に上り詰めたのである。

 予想外の人事に社内外は呆気にとられた。「私は引責辞任したのではない」と胸を張り、取締役でなかった黒川氏をいきなり社長に抜擢したのだから、秋草氏の権力基盤はかえって強化され、独裁体制が固まったのである。

密室で野副社長に辞任を迫る

 秋草氏は08年に代表取締役会長を退任した後も、相談役として取締役にとどまった。そして取締役会を牛耳る「陰の実力者」であり続けた。これが富士通のお家騒動を引き起こす引き金となる。

 黒川氏の後任として社長になった野副州旦氏は09年9月、病気療養を理由に社長を辞任したが、年が明けた10年に野副氏は秋草氏と刺し違える行動に出た。

 野副氏は記者会見を開き、「捏造された虚構を理由に密室で解任された」と舞台裏をぶちまけた。秋草氏が間塚道義会長(当時)らとともに、野副氏に「社長として適切でない」と迫り辞任に追い込まれたと、策謀の全貌を明らかにしたのだ。

 両者の抗争の火種となったのが、ニフティの再編問題だった。お荷物となったニフティの売却話は再三浮上しては消えていた。野副氏は09年7月、投資ファンドを介してニフティの売却に本格的に動きだした。

 相談役の秋草氏は、「反社会的勢力との関係が疑われるファンドを関与させるのは適切ではない」と主張し、野副氏に辞任を迫った。

 結論からいえば、外資系を渡り歩いて金融技術を磨き、金融界でその名を知られたファンドの代表は「反社」ではなかった。それがわかっていながら、秋草氏が「反社」疑惑を持ち出したのは、野副氏解任の口実とするためだったといわれている。ほかの取締役を納得させる理由が、どうしても必要だったからだ。

 10年3月、富士通は信頼関係が失われたとして、造反した野副氏を相談役から解任した。一方、同年6月21日、秋草氏は富士通の取締役を退任した。いわば、喧嘩両成敗だ。最高実力者として君臨してきた秋草氏は、野副氏の捨て身の反撃に遭い、富士通を去ることとなった。

 かつて日本最高の技術者集団といわれた富士通は、秋草氏が社長に就任した98年以降、坂道を転げ落ちるようにIT企業の負け組になってしまった。秋草時代の富士通は経営責任を明確にしない会社という、大きな汚点を残した。秋草氏が「富士通をダメにした男」といわれる所以である。
(文=編集部)

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