近年、日立製作所はIT、エネルギー、産業向けサービス、物流や移動、住生活関連の5分野の事業を強化するために、家電や重電といったハード事業からソフトウェア分野への「選択と集中」を進めてきた。同社は主要上場子会社の一角を売却し、それによって得られた経営資源をITなど成長期待の高い分野での資産取得に再配分した。
その結果、2020年3月期、主要5セグメントの営業利益率は8.5%だった。それは前期から0.7ポイント改善した。新型コロナウイルスの影響によって世界経済が低迷したことを考えると、日立の構造改革は収益の安定と成長の両面において大きな成果を発揮したといえる。
一方、今後の展開を考えた時、日立にはさらなる事業ポートフォリオの構築が求められるだろう。新型コロナウイルスによって当面の世界経済は低迷するとみられる。ただ、その状況がいつまでも続くわけではない。変化に対応するには経営者が短期および中長期的な世界経済の展開を念頭に置き、経営の守りを固めたうえで、成長期待の高い事業を確保しなければならない。そのために、事業ポートフォリオの見直しと入れ替えの重要性が高まっていることは間違いない。
日立が取り組んだ選択と集中
リーマンショック後の2009年3月期、日立は7873億円の最終赤字に陥った。それは、当時の日立経営陣に強烈な危機感を与えた。つまり、火力や原子力発電などの重電事業や家電を中心とするハード事業を重視して、長期存続を目指すことが難しいとの認識だ。
リーマンショックを境に、日立は事業ポートフォリオを見直し、選択と集中に取り組んだ。日立はAI(人工知能)を用いたビッグデータの分析、それを用いたインフラや物流などのソリューション提供やコンサルティングなど、複数の産業分野でのソフトウェア事業を核とするビジネスモデルの構築に取り組んだ。そのために、同社は主要子会社など資産の売却を行った。その一方で、日立はソフトウェア事業の収益力を高めるためにスイス重電大手ABBの送配電事業などを買収し、事業ポートフォリオを大胆に入れ替えた。別の角度から考えると、日立は選択と集中を進めることによって、コングロマリット・ディスカウントの解消に取り組んだ。
コングロマリット・ディスカウントとは複数の産業を事業ポートフォリオに組み入れた複合企業の経営の効率性が低下してしまう現象を指す。かつての日立のようにさまざまな産業に属する上場子会社を抱えていると、経営者が各業界の機敏に変化をとらえ、それに対応することは難しい。また、上場子会社の他の株主との利害調整には時間がかかる。そうした要因から、コングロマリット企業の株価は伸び悩みやすい。
それよりも、経済環境が良好な場合は、経営者がITなどを中心に成長期待の高い分野に経営資源を再配分したほうが成長性は高まる。リーマンショック後、日立は世界経済のIT化に対応するために、製造業を中心としたコングロマリット経営よりもソフトウェア分野を中心に経営資源を再配分し、成長性を高めようとした。新型コロナショックが発生する中でも日立が重視する5つの事業分野が堅調な業績を示したことを考えると、これまでの日立経営陣の選択と集中へのコミットメントは大きな成果を発揮した。
重要性増す安定性と成長性のバランス
2021年3月期の業績予想に関して、日立は連結ベースの最終利益が3350億円と前期から3.5倍増加するとの見通しを示した。同社が収益の安定性と成長性を重視して選択と集中を進めたことによって、経営陣はしっかりとした業績予想を示すことができている。今後、日立は計画を着実に実現しなければならない。
そのために、日立は事業の安定性と成長性の両面から事業ポートフォリオのさらなる入れ替えを進めることとなるだろう。それは、短期と中長期の時間軸に分けて考えるとよい。
短期的な世界経済の展開を考えると、先行きはかなり読みづらい。世界経済が新型コロナウイルスの影響から完全に立ち直るためには、効果のあるワクチンや医薬品の開発が欠かせない。早ければ9月に英アストラゼネカがワクチンの実用化と供給の開始を目指している。
ただし、急ピッチでワクチン開発が進められているため、どの程度の効果があるかなど不確実な部分は多い。当面、各国の企業は新型コロナウイルスの感染が続くことを念頭に事業を行わなければならないだろう。状況によっては、感染が一段と深刻化し、世界経済により大きな下押し圧力がかかる展開も想定される。そうした展開を考えると、日立はさらなる事業の安定性と成長性の強化に注力しなければならないそれは、コングロマリット経営の重要性が高まっていることと言い換えられる。
中長期的に考えると、いずれワクチンの実用化が進むなどして、世界経済の成長率は時間をかけてコロナ前の水準を回復するだろう。重要なことは、コロナショックが世界を大きく変えていることだ。コロナショックによってテレワークの推進やオンラインの診療など、デジタル化が急速に進んでいる。それによって世界全体で新しい働き方や生き方が見出された。もう、後戻りはできない。世界経済の活動が正常化に向かうとともにIT先端分野を中心に成長への期待は高まるだろう。その場合、日立は再度、選択と集中に注力し、成長性の高い事業を育成しなければならない。
日立に求められるさらなる構造改革
重要なことは、そうした変化が顕在化する前に、企業は将来の成長に向けた事業戦略を進めなければならないことだ。ライバル企業が目先の収益や資金繰りの確保に奔走している状況こそがチャンスだ。そう考えると、日立は事業の安定性を重視しつつ、持続的な成長が期待できる事業を事業ポートフォリオに組み入れる必要がある。それは、日立がこれまで以上の姿勢で構造改革に取り組むことを意味する。
現在、新型コロナウイルスの感染拡大によって世界的に需要は低迷している。多くの企業が、資産売却などによって当面の資金繰りを確保しなければならない。そうした状況を活かして、日立は産業、家庭、公的部門などでの普及が期待されるIoT(インターネット・オブ・スィングス)関連の技術を確保することができるだろう。また、同社が米マイクロソフトと提携し、企業の生産や物流の効率化に向けたソリューションの提供体制を強化していることも重要だ。そうした取り組みを後退させることはできない。
成長期待の高い資産を取得するためには、その原資が必要だ。その一つとして、既存事業の売却は重要だ。日立が安定性と成長性のバランスをとりながらポートフォリオの入れ替えを進めるために、今後も主要子会社の売却などが検討される可能性はある。
現在の日立の事業ポートフォリオを俯瞰すると、ITソリューションを中心に同社が注力してきた事業は堅調に推移している。その一方、建機、金属関連を中心に子会社の収益動向は不透明だ。中国では政府の補助金に支えられて地場企業が生産規模や価格面で競争力をつけている。建機分野では三一重工の技術力が高まり、米キャタピラーやわが国のコマツからシェアを奪っている。それに加えて、中国の過剰生産能力の問題は低価格競争に拍車をかけている。
そうしたリスクを考えると、今後も日立は成長性が鈍化している資産の売却を進め、IT関連を中心に安定した収益や持続的な成長が見込まれる資産の取得を進めるだろう。そのなかでどれだけ多くの成長期待の高い事業を日立が確保できるかが、同社の長期存続を左右するだろう。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)