日本M&Aセンターは6月2日、第8回「M&Aバンクオブザイヤー」を発表した。最高賞「バンクオブザイヤー」は富山県の北陸銀行が受賞した。北陸銀行は2年連続、通算5度目の受賞となった。M&A(合併・買収)を通じて地域に貢献する「地域貢献大賞」も受賞した。
中小企業のM&Aを手がける日本M&Aセンターは毎年、買収仲介の取り組みについて、提携している金融機関を表彰する。北陸銀行の2019年度のM&Aの成約件数は過去最多の30件に上り、5年間で2.5倍に急増した。
日本M&Aの三宅卓社長は、メディアの取材に「新型コロナの影響で右往左往していた中小企業の経営者が先を考え始めた。高齢で先行きが厳しい企業も多い。7~9月は例年の数倍の3000件以上の相談が来るだろう」と話す。コロナ禍による経済の悪化で中小企業の倒産や廃業が増えている。会社の譲渡を希望する企業が増える一方で、ピンチをチャンスに変えるための買収に打って出る企業もある。「海外事業の拡大を含め今後30年、M&Aは増える」と三宅社長は予想している。「M&Aをいっそう活発にするためには成功事例が欠かせない」とも。
20年3月期の成約数、売り受託件数とも過去最多
M&A業界は、中小企業の後継者不足などを背景に高い成長を続けてきた。日本M&Aセンターの決算説明資料によると、市場規模は23兆円。大企業の事業再編でM&Aは巨額になっている。日本M&Aセンターの20年3月期の連結決算の売上高は前期比12.5%増の320億円、営業利益は13.7%増の142億円。純利益は15.9%増の102億円と増収増益だった。
成約数、受託件数は過去最多を記録した。成約数は前期の770件から885件へ14.9%増。5年間(15年3月期338件)に2.6倍になった。売り案件の受託件数は前期の1100件から1450件へ31.8%増えた。
コロナの影響は出た。20年1~3月の成約数は142件。四半期ごとに220件以上あった成約数が急落した。新型コロナの感染拡大により景気の先行きに対する不透明感が強まったことから、(企業の)買い手が様子見姿勢を強め、成約が低迷した。21年3月期の業績見通しは「未定」とした。
成約数が右肩上がりで増えたことから株価は上昇を続けた。昨年の3000円前後から、2020年1月には4100円を付けた。コロナショックで急落したが、3月期決算が好調だったことに加え、コロナ禍で会社を売却する中小企業が増加するという思惑から、株価は強含みとなり、7月7日には5100円の年初来高値をつけた。コロナショックで年初来安値(2365円)を3月23日につけたが、その後、反転し、株価は2.1倍となった。
分林会長は観世流の能楽師
1991年4月、全国の公認会計士・税理士が中心となり、株式会社日本エム・アンド・エーセンター(現・日本M&Aセンター)を設立。このベンチャー企業に現会長の分林保弘(わけばやし・やすひろ)氏(76)と、現社長の三宅卓(みやけ・すぐる)氏(68)が参画した。分林氏は京都市生まれ。父は観世流能楽師、母は裏千家茶道教授。3歳で初舞台を踏む。観世流能楽師分林道治氏は甥にあたる。
立命館大学経営学部在学中の1965年、「全米能楽公演ツアー」を企画・実行。全米35州を巡り、20以上の大学で4カ月にわたり能楽公演を行う。当時の米国社会・経済に強く影響を受けて帰国した。
1966年、卒業後、外資系コンピュータメーカーの日本オリベッティ(現NTTデータジェトロニクス)に入社。全国の中小企業や会計事務所にコンピュータシステムを販売する会計事務所担当マネージャーを務めた。
このときの人脈が日本M&Aセンターの会計事務所ネットワークの基礎となった。クライアントである会計事務所で「経営権の承継」問題が増えていることがわかった。後継者問題を解決するためのM&Aが必要だと考えた。91年、公認会計士や税理士とともに、日本M&Aセンターを設立。取締役に就き、翌92年に社長に就任。2008年に会長となる。
日本オリベッティの上司と部下が“脱サラ”で起業
三宅氏は神戸市の生まれ。大阪工業大学工学部経営工学科卒。「プロの写真家」になるつもりで暗室に籠りきっきりになり、2年留年した。その頃、写真のテーマにしていた「人間疎外」を解決するツールはコンピュータだと信じ、1977年、コンピュータ会社の日本オリベッティに入社。工学部出身だったのでソフト部門を志望したが、「ソフトの才能」がないと言われ、1年で営業に出された。新卒営業は飛び込み新規開拓部隊で、そのときの上司が“鬼の営業課長”の異名をとる分林氏だった。
分林課長の下で会計事務所営業を6年。その後、金融機関に融資支援や国際業務のシステムの企画・販売を行うビジネスを7年やった。名古屋の金融事業所長をやっているとき、分林氏が名古屋にセミナーにきていて、夕食をともにした。
夕食の席で、「今度、後継者問題を解決するためにM&Aの会社を設立するつもりだ」という話を聴き、「これにはぜひ参加したい」と思った。「全国の税理士・会計士をネットワークするので全国展開が必要なのだ。俺(=分林)が東をやるから、お前(=三宅)は西をやってくれ」ということになって参加した。ちょうど38歳の時だ。
日本M&Aセンターは分林氏と三宅氏が二人三脚で立ち上げ大きくした会社だ。三宅氏は2008年、分林氏の後任の社長に就いた。12年8月9日放映されたテレビ東京系の『カンブリア宮殿』で、インタビュアーの村上龍氏から、三宅氏は自著『会社が生まれ変わるために必要なこと M&A「成功」と「幸せ」の条件』(経済界刊)について「今年読んだ本で一番面白かった」と言われた。
脱サラで成功した2人が直面する「経営権の承継」の問題
日本M&Aセンターは全国の会計事務所を「地域M&Aセンター」としてネットワーク化。20年3月末現在、899の地域M&Aセンターがある。会計事務所のネットワークは、分林氏の日本オリベッティ営業時代からの約40年の付き合いを基に出来上がった。
2000年、地方銀行とのネットワークの拡大を目的に全国M&A研究会を立ち上げた。信金中央金庫と提携後、子会社の信金キャピタルや全国の信用金庫と提携を順次拡大していった。20年3月末現在、98の地方銀行、215の信用金庫と提携している。地域金融機関のネットワークは、三宅氏が金融機関営業をやっていたときからの20年以上の付き合いでつくられた。
M&A支援専門会社として06年、東証マザーズに上場。07年、東証1部に指定替えになった。16年から海外に進出。19年には上場支援サービスを始めた。
中高年サラリーマンから脱サラして起業した2人は大成功を収めた。分林会長の持ち株比率は4.62%で第5位の株主。三宅社長は7.08%を保有する第3位の大株主だ(20年3月末時点)。2人とも決して若くはない。中小企業の経営者と同様に、日本M&Aセンター自身が「経営権の承継問題」に否応なしに向き合わざるを得なくなっている。
(文=編集部)