「ザ・プリンス・パークタワー東京」
(『Wikipedia』より)
3月23日、西武HDの32.4%の株式を保有し筆頭株主となっているサーベラス・グループが、西武HDの株式を一株1400円で36.44%まで買い集めることを目標にTOB(公開買い付け)を開始。さらに4月5日には、44.67%まで目標上限を引き上げると宣言した。ちなみに、TOBの締切は5月17日としている。
これに対して西武HDの経営陣は、TOBについて断固反対する姿勢を見せている。4月12日、同社の後藤高志社長は記者の囲み取材の中で、「44.6%というのは実質的には過半数の株式を取得しうると考え、いっそう強く反対表明をする」と厳しい口調で語っている。
西武HDの経営陣とサーベラスは、これまで友好的なかたちで西武HDの経営再建に取り組んできたという。
「当初はサーベラスの提言などにも良いものもあったので、こちらも積極的に取り入れていました」(西武HD広報部)
西武は2004年に上場廃止し、後藤高志氏が社長に就任。その後、持ち株会社として設立された西武HDに、日興コーディアル証券などとともに出資したのがサーベラスだった。
ところが、日興コーディアル証券は「ベルシステム21」の買収をめぐる粉飾決算が明らかとなり、保有していた西武HDの株式を日本政策投資銀行、農林中金、京浜急行電鉄などに売却。サーベラスもこの一部を取得し、出資制限ぎりぎりの32.4%まで保有した。
その後、西武HDはサーベラスと共に再上場に向けて歩調を合わせてきたが、リーマンショックや東日本大震災などに阻まれ、上場ができなかったという。西武HD関係者は、次のように語る。
「11年3月期には、検案だったプリンスホテルの黒字化がほぼ確定し、さあここから上場準備に入ろうかという状況だったようです。ところが3.11の東日本大震災の影響で、黒字化を実現できず、結局上場準備に入れませんでした」
そして後藤ら西武HD幹部は11年6月、サーベラスの現シニア・マネージング・デレクターのルイス・フォスター、サーベラス日本法人・鈴木喜輝社長と日本で面談し、彼らから早期上場を強く要請された。翌12年2月にもフォスター、鈴木両氏は後藤社長ら西武HD役員と再び日本で面談し、早期上場を念押しした。そして、その翌月の同年3月には、米国ニューヨークで後藤社長はサーベラスCEOのスティーブン・ファインバーグと初めて会談し、その胸中の思いを聞いた。
「後藤社長もこうしたファインバーグの要請に後押しされるかたちで、12年度中に上場しようと決意するようになったようだ」(西武HD関係者)
●崩れる西武HDとサーベラスの蜜月関係
そんな両者の蜜月関係が、いったいなぜ崩壊したのか?
「まさに同床異夢、上場に対する考え方の違いが両者の関係を割くことになったのではないか」と西武HD関係者は語る。
12年5月11日、西武HDは幹事証券会社として、みずほ証券、野村証券、JPモルガン、UBS、メリルリンチの5社を内定し、その直後、上場の予備申請を行った。予備申請とは、「上場前のレクチャーのようなもので、企業が東京証券取引所(東証)に対し、上場するためにはどのようなことが必要なのかを説明するための場」(東証関係者)だ。
ここで西武HDが懸念事項として考えていたのが、サーベラスとの資本提携契約だった。05年11月にサーベラスが出資をした際に、西武HDはサーベラスの一定の経営関与を認める条項や、逆に関与を制限する条項などを含む資本提携契約が結ばれていた。
ところが東証の『上場の手引き』(株主間契約について)には、「特定の株主に特別な権利を付与する契約の存在は、その他の株主の権利を損なうものとなる懸念が高いことから、申請前に解消されることが原則」と明示されており、12年5月、西武HDの後藤社長ら経営陣がサーベラスと面談し、資本提携契約の解消を申し出たという。