インデックス、なぜ“IT業界の勝ち組”は強制捜査にまで至ったのか?積極M&Aがあだに
IT(情報技術)関連ということだけで株式を公開できた新興企業家たちは、「時間を買う」を合言葉にM&A(合併・買収)で企業規模の急拡大を図った。
インデックスはライブドアや楽天の陰に隠れて目立たない存在だったが、国内外での積極的なM&Aで成長を遂げた。上場した年の01年8月期に38億円だった連結売上高は07年同期には1298億円となった。6年で34倍になったわけだ。インデックスはIT関連の「勝ち組」企業の一角を占めた。
03年に学習研究社(現・学研ホールディングス)に資本参加(出資比率4.72%)してから、M&Aを加速した。3カ月間に2社のペースでM&Aを続けていった。04年8月には欧州最大の携帯コンテンツ会社・123マルチメディア社を150億円で買収したのに続き、フランスのプロサッカーチームを買収。05年3月には中国最大級の携帯コンテンツ会社・スカイインフォを80億円で買収するなどM&Aは海外にまで及んだ。05年4月にはタカラ(現・タカラトミー)の発行済み株式の2割相当を110億円で取得した。
ハイライトが老舗映画会社、日活の買収である。日活は、1960年代前半には石原裕次郎、吉永小百合、赤木圭一郎、小林旭など青春スターを擁し黄金時代を築いた。だが、映画は国民娯楽の主役の座をテレビに奪われ、あっという間に凋落し、日活(この頃は、平仮名の、にっかつ)は93年に会社更生法を申請して倒産。経営再建を進める中で、97年にゲーム大手のナムコ(現・バンダイナムコホールディングス。05年9月、バンダイと経営統合)が30億円出資して子会社にして、ナムコの当時のオーナーの中村雅哉が社長に就いた。ナムコグループに入った時に、社名を「にっかつ」から日活に戻している。
インデックスがナムコから日活を買収することで合意したのは、05年9月ことだ。日活労組はインデックスが「日活を映画・映像事業を中心に経営再建し、雇用と労働条件を守る」と約束したことで、買収に同意した。
06年6月、社名をインデックス・ホールディングス(HD)に変更し、純粋持ち株会社に移行した。だが、M&A路線のツケが回ってきた。06年8月期決算は、上場後、初めての営業減益。しかも、期中に二度も業績予想を下方修正した。小川(現・落合)善美はかつて、「携帯ビジネスは上がりのエスカレーターのような業界」と語っていた。決算の数字を6回続けて上方修正し、青天井の成長が続くと思われていた当時の発言である。だが、その輝きは過去のものとなり、とうとう「下りエスカレーター」に乗ってしまった。これ以降、二度と業績が本格的に上向くことはなかった。
09年1月には、虎の子だった日活株式の34.0%を日本テレビ放送網に23億円で売却した。インデックスが05年9月、日活株をナムコから買収したときの価格は74億円。一部の株式をスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSATホールディングス)に15億円で譲渡したが、それでも71.0%の日活株を保有していた。結局、買収額を10億円以上、下回る価格で、日活株を手放した計算になる。
インデックスが振興銀行グループの傘下に入ったのは、日活株売却の2カ月後のことだった。
●NISグループとは
文中に出てくるNISは、東証1部上場の事業者向け金融。前身は金融会社、ニッシン。2代目社長の嵜岡邦彦(さきおか・くにひこ)が02年にNY証券取引所に上場を果たした。