サヨナラ、「体育会系上司」。日大アメフト部問題は、日本企業によくある風景
企業戦士として重宝された、軍国主義を反映した体育会系人材
そんな軍隊式の体育のあり方は敗戦によって刷新され、民主的な現在のかたちへと舵が切られた。しかし、今回の日大のような体質が、いまだ日本企業のなかに見られるのは、高度経済成長期以降の日本企業の組織マネジメントにおいて、いわゆる“体育会系人材”が極めて好都合だったからではないかと推測する。
モノ・コトの大量生産、大量消費によって事業が拡大し続けていた時代、そのビジネスを支える企業戦士の育成として、かつて「国を守る」ためだった体育教育や体育会系人材が「会社を守る」ための教育、人材として重宝され、軍国主義的な要素を残したまま会社のなかに浸透していったのではないか。
今回の一連の騒動でも見られた、監督やコーチと選手の間の絶対的な上下関係や、育成という名の元に権力者が弱者を追い詰める構造。こうした体育会系のヒエラルキーは、歯向かう者を生みにくく、多重階層の日本の会社組織においてマネジメントしやすい。そのため、多くの日本企業で都合よく活用されてきたのだ。体育会系人材が弱者の立場にあるときには、上司の命令に絶対的に従ってどんな場所にでも突進する。
こう考えると、“体育会系”と呼ばれる人材が新卒採用などで人気だったのもうなずける。彼らの立場が変わり、権力を持つと自身で引き受けたくない仕事は直接手を下さず、部下が実行するようマネジメントする。もちろんすべての人ではないが、いわゆる“体育会系”人材の一部には確実にこうしたことを今なお実行し続けている人々がいると感じる。
日大の選手が行った反則行為自体は許されるべきではない。ただ、この問題を日大個別の問題として終わらせてしまってはいけない。これは、日本中いたるところに存在するマネジメント構造の問題であり、その現れのひとつだからこそ本件は恐ろしいのだ。いまや若い才能が自由に発想し、イノベーションを起こしていく組織マネジメントが求められる時代。企業のすべてのマネジメントに関わる人々が、これまでのあり方をかえりみて、日本の悪しき慣習と精神に決別する潮目を迎えている。
最後に、「体育会系」の意味を辞書で引いてみる。
「部活動の運動部などで典型的に見られる気質や体制などを意味する語。気合いの精神、根性の重視、上下関係の絶対視などが挙げられる」(出典:Weblio辞書)
この言葉が死語になる社会になってほしい。そんな時代もあったね、と。
(文=物延秀/株式会社スパイスボックス 取締役副社長)