日本大学アメリカンフットボール部員の試合中の粗暴な反則から始まった騒動も一巡したようだ。テレビ番組はもとより、新聞や雑誌でも扱いはめっきり小さくなった。
それでも日本大学関係者には大きな衝撃を与えたようで、現在でもOBと思しき方々から質問の電話やメールを頂戴する。内容は大別すると以下の2つだ。
「日大は凋落してしまうのか」(法学部OB)
「この事件を契機に日大は変われるのか」(芸術学部OB、文理学部OB)
これも5月25日に当サイトに掲載された筆者へのインタビュー記事の影響であろう。おそらく良識ある数多くの日大出身者、関係者は同様の懸念や不安を抱いているものと思われる。そこで推察を交えつつ、上記質問の回答を考えてみたい。
凋落はするのか?
まず、日大が今回の不祥事を契機にして凋落してしまうのか、という問いだ。
もちろんダメージはある。今年度の入試で看板学部や人気学科以外の受験者数の減少や、難易度の低下は見られるかもしれない。だが、日東駒専と呼ばれる首都圏有力私大の括りから離脱、転落するようなことにはならないだろう。
なぜなら大学の序列とは企業以上に固定化されているからだ。第2次ベビーブーム世代による最後の受験戦争時代から昨今の厳冬の時代まで、かれこれ四半世紀にわたり大学の消長は見ているが、特に上位から中位クラスの大学の序列には、ほとんど変動がない。このクラスの大学は、ほとんどが長い歴史と、それに見合う実績を有しているからだろう。そして、その認識は受験生のみならず、保護者、進路指導の担当者に共通しており、半ば常識にもなっている。
また、大学の一運動部、言い換えれば組織内のひとつのパーツが引き起こした事件は、当該の大学全体の評価や信用を大きく毀損することにはつながらないものだ。このあたりは過去に早稲田大や慶應大などの学生サークルが引き起こした破廉恥な事件からも明らかだ。大学のブランドを決定的に失墜させるものを挙げるとすれば、受験そのものの大がかりな不正だろう。基本的なシステムの信用を喪失させるような不祥事を引き起こさない限り、いったん大学が得た地位は簡単に変動するものではない。
変革するのか?
では、日大は今回の事件を契機に変われるか、という問いだが、変わるのは極めて難しいと言わざるを得ない。
大学のカラーは設立時の母体が形成する部分が多い。もともと日大は明治政府の意向により、その要人たちが設立した経緯から保守的な色合いが強く、国内最大規模の学校法人だけに運営面でも不安は乏しい。要するに変化や改革とは馴染まない体質を持ち、その必要にも迫られない規模も備えているわけだ。
加えて、田中英壽理事長の学内における権力、影響力は飛び抜けているとも仄聞する。学部職員から法人トップの理事長にまで上りつめた、典型的な叩き上げだけに、学内の事情には表裏合わせて精通しているのは確かだろう。長く理事長職にあるのも、これと対抗、牽制するような勢力が存在しないためと考えられる。大学にとって、ときに手ごわい存在、内なる圧力団体にもなるのが卒業者の形成する校友会組織だが、田中理事長は理事長就任の前に校友会本部で要職を歴任した経験もあり、こちらにも顔が利くようだ。
ちなみに日大の年間の寄付金総額は前年度決算で42億円と、慶應大(同41億円)と並んで、他の大規模私大(3位の早稲田は27億円)を引き離している。あるマスコミ関係者は理事長を「大学版の田中角栄元首相のよう」とたとえていたが、言い得て妙だ。
内部からの改革が望みにくいとすれば、外部からの圧力に頼るほかはないが、これも大きな期待はできない。監督官庁の文部科学省からのペナルティ、わかりやすいところでは補助金の削減にしても、前出インタビュー記事でも指摘したように、日大の補助金交付額は私大トップだが、依存度は他の有力大学に比べて低い。あり得ない話ではあるが、たとえゼロ査定をしても兵糧攻めの効果は限定的なのである。
マスコミの追及にも限界はありそうだ。過去、大学関係の出来事で幾度か、複数社から取材を受けた経験はあるが、今回は明らかに様相が異なった。教育の専門局を持ち、来るだろうと思われたNHKからはなんの連絡もなかった。おそらくは理事長と関係の深い相撲界と、日大の100万人を超える出身者への配慮があるのだろう。またNHKに限らず、マンモス校・日大からの広告出稿はもとより、退職者の受け入れなどで利害関係にあるメディアも少なくない。
(文=島野清志/評論家)