パナソニックは今年、創業100周年を迎えた。同社は、高度成長期に家電王国としてのしあがった、日本を代表する企業の一つだ。しかし、91年のバブル崩壊と同時に長い停滞期に入り、「変われない日本企業の象徴」といわれるようになった。
そのパナソニックが今、変わろうとしている。2012年に社長に就任した津賀一宏氏は、本社の縮小、カンパニー制導入、事業部制復活などの構造改革、またガバナンス改革に取り組んだ。大量生産大量販売のビジネスモデルと決別し、前面に出していた家電事業のB2C(対消費者)ビジネスから、車載や住宅事業を中心とするB2B(対法人)ビジネスへと大きく舵を切った。さらに、パナソニックの企業文化さえ、根底から変革しようとしている。
私は10月20日、津賀の行った一連の改革をまとめた、『パナソニック、「イノベーション量産」企業に進化する!』(PHP研究所)を上梓した。取材から、パナソニックの変革と再建のストーリー、そして1990年代以降の失墜の理由が見えてきた。
前回に引き続き、津賀氏が主導したパナソニック改革に参加した主要プレーヤーのインタビューから浮かび上がってきた「知られざるパナソニック」の“深層”をお伝えする。今回は、現専務でCNS(コネクティッドソリューションズ)社社長の樋口泰行氏、ビジネスイノベーション本部本部長の馬場渉氏へのインタビューを掲載する。
樋口泰行氏
津賀氏の企業文化の改革を象徴する代表的な例は、外部人材の登用だ。2016年以降、メリルリンチ日本証券のトップアナリストの片山栄一氏、日本マイクロソフト会長の樋口泰行氏、また、独IT大手SAPのバイスプレジデントの馬場渉氏らを招聘した。
外部から招かれた人材は、パナソニック改革に大きな役割を果たした。衝撃の“出戻り”人事でパナソニック代表取締役専務執行役員、CNS(コネクティッドソリューションズ)社社長となった樋口泰行氏もまた、パナソニックの改革をリードする役割を担う。
片山 樋口さんを役員として迎え入れるとは驚愕でしたが、ひとえに改革の牽引役を期待してのことだと思います。どのように改革を進めていきますか。
樋口 CNS社の改革でいえば、三階建てで考えています。一階は文化面の改革。二階はボックスセリングからソリューションヘのシフト。三階は選択と集中による長期的な高収益体質への変換です。
片山 文化面の改革の一環かと思いますが、17年に就任された直後、CNS社の東京移転を発表されました。これには驚きました。
樋口 東京移転は、以前に何回も検討されたと聞きましたが、最後はやっぱり“門真”となっていたというんですね。何が難しかったのか……。そりゃあ、本社全体を東京移転するというのは、相当の根性がいりますが、一カンパニーくらい、何やそんなもんと……。反対もあったと思いますけど、何を考えてるんやと思いましたよ。“門真”は東京に比べて情報量はゼロ。誰もこない、名刺は減らない。そんなところに本社があって、なんの意味があんの、ということです。
片山 CNS社の新本社を見せていただきましたが、100年企業が思い切って、フリーアドレスで服装も自由裁量にした。驚きでした。こうした文化改革は、CNS社を発端に、全社に波及していきましたよね。
樋口 フリーアドレスは当初、社内の役員が見学にきて「こんなに変われるの?」って驚いていましたよ。いろんな部署の人間が集まり、情報も集まるのでコラボレーションしやすい。タッチダウンオフィスとしても機能するので機動力がもてる。そこら中で立ち話でいろんな打ち合わせをしていますから、速いですよね。それから、固定席だと、よその部署の人は入りづらいですけど、フリーアドレスだとそれがほとんどないのもいいですね。
片山 社長室もないと聞きました。
樋口 ないです、自分が部屋に入ったら本気が伝わらないですから。
片山 ハードウェアの単品売り切りから、システムやソリューションへの転換を進めています。それには、顧客の懐に入り込んでニーズを探り出し、解決策を探し出して提案するという主体的な働き方が求められます。そのためにも、服装やフリーアドレスは自分の裁量で物事を決め、主体的に動くための訓練にもなりますね。
樋口 社員みんなのマインド、企業のカルチャーを、もっともっとダイナミック、オープン、フェア、アジャイルにしていくということは、基本中の基本です。そうしないと若い人は活性化しないし、ミレニアル世代は辞めてしまうでしょ。そもそも「何かやろう」と盛り上がるだけで、私の経験上、5%から10%ぐらいパフォーマンスは上がりますね。
片山 パナソニック全体を見たとき、本格的な反転攻勢は、これからですか。
樋口 まだまだ、入り口ですからね。パナソニックは財政的にやっと普通になっただけで、根本的に将来にわたって持続可能な文化にはなっていない。経営の近代化という意味では、コンプライアンスもダイバーシティも働き方改革も、まだまだです。事業のポートフォリオを考えれば、まだまだ全然ダメですね。雰囲気がちょっと変わっても、事業は、伸びてナンボですから。この改革は、5年、いや10年仕事だと思います。一貫性を保ち、強い意思をもって進めていかないといけません。
馬場渉氏
馬場氏に、イノベーション企業への転換、そして進化への取り組みについて話を聞いた。
片山 パナソニックのような100年企業は、どうすればイノベーション企業になれるのか。
馬場 例えば、シリコンバレーの企業がイノベーションを次々と生み出せるのは、属人的な問題や一過性の何かではなく、イノベーションをシステマチックに生み出し続ける「量産の技術」があるからだと、私はとらえています。
過去、世界のモノづくりを日本企業が牽引した背景には「生産技術」があります。生産技術という言葉は、英語にするのが難しい日本語ですが、わかりやすくいえば、QCD(品質、コスト、納期)の管理を徹底し、圧倒的なマスプロダクションの仕組みを支える技術です。
パナソニックは、1977年に日本で初めて生産技術に特化した「生産技術研究所」をつくりました。ここから、世界中のパナソニックの工場に量産化のフレームワークを提供しているわけです。これと同様に、あらゆる製品、あるいはビジネスモデルに使える「イノベーション量産化技術」を開発し、展開する。つまり、日本の企業風土や日本人の性格、仕事の仕方に適合した量産化技術を開発すれば、パナソニックの規模ならではの「イノベーション量産化」が可能だと考えています。
片山 津賀さんは、13年に経営スローガン「クロスバリューイノベーション」を掲げました。パナソニックには、現在37の事業部がありますが、その縦割りの壁を破壊し、製品や技術、人材、データなどの経営資源を掛け合わせることで、イノベーションを創出し、新しいビジネスを生み出そうという考え方です。イノベーションは、カンパニーや事業部によってガチガチに固められた縦割組織からは生まれにくいですね。
馬場 カンパニーや事業部などのタテのパナソニックに対して、横のつながりである「ヨコパナ」によるイノベーションが、クロスバリューイノベーションです。私たちは住宅、住設(住宅設備)、家電をプラットフォーム化し、デジタルでお客さまとつながる、デジタルネイティブなビジネスの仕組みを構築しようとしています。
しかし、歴史ある大企業ほど、こうした活動を阻害する仕組み的な要因が多い。そこで、シリコンバレーに“出島”として「パナソニックβ」を設立しました。これは、ミニヨコパナであり、クロスバリューイノベーションを実現するためのマザー工場であり、イノベーション量産化のためのモデルファクトリーです。過剰な完璧さ、過剰な品質、過剰なすり合わせ、部門間調整、これらを全部取り払う。不完全でもいいので多くのトライアルをし、短期間で市場に投入していきます。いきなり、27万人のパナソニック全体を変えることはできません。小さな組織であるパナソニックβから、本丸の改革をリードします。
(文=片山修/経済ジャーナリスト、経営評論家)