生活雑貨店「無印良品」を展開する良品計画は9月から、在学中の学生から30歳未満の既卒者までを対象に通年採用を開始した。これまでの新卒の一括採用を見直し、時期にとらわれず応募できる制度を初めて導入した。優秀な人材は20代で執行役員になれるキャリアパスも用意し、経営幹部候補の人材を育成する。
専門学校、短大、大学、大学院に在学中の学生向けに、学年を問わずエントリーできる「定時入社コース」を用意した。卒業年度の4月に入社するコースで就職活動時期に縛られず、学年に関係なく応募できるのが特徴だ。
大学生の場合は、1学年につき1度の応募が可能。不合格の場合でも翌年に再チャレンジできる。内定後は在学中、無印良品でアルバイト勤務するのが条件となる。既卒者は30歳未満が対象。採用後、随時入社でき、早期に店舗運営を任せることを想定している。これまでも、入社3年で店長に昇格できる仕組みを取り入れるなど人材育成に注力してきた。
今後の大量出店を見据え、通年採用に踏み切った。通年採用で、店長候補となる人材を年間150人採用することを目標としている。
売上高3兆円、食品の品揃えに注力する小売りに大変貌
第二の創業――。7月に発表した中期経営計画では、新たな成長に挑戦する姿勢を鮮明にした。2024年8月期から出店の中心を郊外や地方に移し、店舗を大型化する。国内の出店ペースを従来の5倍の年間100店、中国では2倍の50店に引き上げる。
中計の柱は食品スーパーの隣接地など消費者の生活圏で大型店を積極出店することだ。店舗あたりの売り場面積は2000平方メートル、年間売上高は10億円を計画。新型コロナ感染拡大前の20年2月期の直営店の1平方メートル当たりの月平均売り上げや、平均売り場面積と比較すると、中計の売り場面積は2倍超、年間売上高は7割増えることになる。
カギを握るのが食品だ。衣服や雑貨が主だった「無印良品」は近年、加工食品などの品揃えを増やしてきた。出店が軌道に乗る30年8月期には売り上げに占める食品の割合を30%に高めるとしている。1店舗当たりの1日の売上高(日販)は大型店で273万円。現在より109万円増加する。食品は26万円から82万円に伸び、食品だけで伸びの半分を占めることを想定している。食品中心に大変貌を遂げることで30年8月期に売上高3兆円、営業利益4500億円を目指す。
売上高3兆円は、小売業トップのセブン-イレブン・ジャパン(チェーン全店売上高4.8兆円)には及ばないものの、同2位のファミリーマート(同2.7兆円)、カジュアル衣料チェーン「ユニクロ」を展開するファーストリテイリング(連結ベースで2.1兆円=21年8月期)をしのぐ規模になる。この高い目標を達成するには、毎年平均2割以上の成長が必要になる計算だ。
22年8月期の営業利益は過去最高に迫る
中計の初年度に当たる22年8月期の連結決算は、売上高に当たる営業収益は、21年8月期比6%増の4800億円を想定している。牽引役は3220億円(同8%増)を見込む国内事業だ。レトルト食品や菓子が伸びるほか、キッチン用品、日用品も堅調だ。
営業利益は6%増の450億円を見込む。最高益は決算期変更前の18年2月期(452億円)だったが、これに肉薄する。円安による為替差益や米店舗関連の特別利益(31億円)を計上した前期の反動が出るため、純利益は6%減の320億円となる。
21年8月期決算は営業収益が4536億円だった。決算期を2月から8月に変更しているが、前年の同じ期間と比べると営業収益は13%増えた勘定になる。営業利益は424億円(半年間の変則決算だった前期は8億7200万円)。純利益は339億円(同169億円の最終赤字)と黒字転換した。
後継者と目されながらユニクロを2度辞めた堂前・新社長
新年度が始まる9月1日、新社長に堂前宣夫氏が就任した。堂前氏は、ファストリの創業者、柳井正氏の“秘蔵っ子“と評された人物だ。柳井氏と同じ山口県出身で柳井氏の20歳年下となる。
1993年、東京大学大学院電子工学修士課程修了。マッキンゼー・アンド・カンパニー・インク・ジャパンに入社。コンサルティング業務を経験する。その後、柳井氏の熱意に強く惹かれ98年9月にファストリに入社した。ユニクロが東京・原宿に進出した年である。入社2カ月後の11月に取締役に就任。30歳を迎えた翌99年7月に常務取締役に昇進した。
のちに社長となる玉塚元一氏(現ロッテホールディングス社長)や澤田貴司氏(現ファミリーマート副会長)などと共に、ユニクロでフリースブームを支えた。澤田氏や玉塚氏は、柳井氏の期待に応えることができず相次いでファストリを去ったが、2000年前後に入社した若手幹部のなかで、堂前氏は最後までユニクロに残った。04年には30代半ばで副社長に抜擢された。
堂前氏がユニークなのは、ファストリを2度辞めたことがあるからだ。副社長として名実ともにナンバー2となったが、07年、突然退任した。この時は米国法人の代表だった。3カ月後に復帰し、周囲を驚かせた。堂前氏の新しいポストは最高戦略責任者(CSO)。成長ドライバーとなる海外事業を成功させるミッションを帯びていた。機能性インナーを世界共通ブランド「エアリズム」とし、大ヒットさせたのは記憶に新しい。
ところが堂前氏は15年ごろに、本当にファストリを辞めてしまう。理由ははっきりしないがこれが2度目の退任である。16年6月、モバゲーなどを展開するディー・エヌ・エー(DeNA)とネット証券のマネックスグループの社外取締役になった。
19年2月、良品計画の上席執行役員営業本部長に就任。3カ月後の同19年5月に専務取締役執行役員に昇進した。赤字を続ける欧米事業を立て直すために招かれた。そして、今回、社長に昇格した。「無印食品」は「感性の経営」を掲げる堤清二氏が率いた旧セゾングループのアンチ・ブランドを標榜する会社として誕生した。
堂前新社長の下、第二の創業を謳い「MUJI」の規模の拡大を追求する。柳氏との“師弟対決”が見ものである。