インターネットやAI(人工知能)など、デジタル技術の進展はビジネスにも大きな影響を与えている。たとえば、価格といえば「売り手が事前に決めているもの」ということがこれまでの常識であったが、ネットプロテクションズは、消費者が享受したサービスを基に価格を決定するポスト・プライシング(客による“あと値決め”)という決済手段を、スマートフォンを活用して手軽に行えるサービスを、企業に向けて提供している。
こうしたシステムを活用している企業は、家事代行やお花関連など多岐にわたっている。この決済手法は、YouTubeなどでしばしば目にする「投げ銭」と類似する部分もあるが、ファン・ミーティングやライブなどで、あと値決めを導入するエイベックス・デジタルの実証実験では、あと値決めは投げ銭よりも4倍ほど高い入金率となっている。
こうした動きは日本に限定されず、海外でも音楽ダウンロードやレストランを中心に、Pay as you wish(Pay as you like/あなたのお好きな価格を支払ってください)という名称で広がりつつある。
しかし、こうしたPay as you wishシステムを昭和57年から開始していた旅館が愛知県湯谷温泉に存在していた。では、なぜこのような決済サービスを始めたのか、成功のポイントや問題点としてどのようなことがあったのか――。こうした実態を解明すべく、「客による、あと値決め」システムの元祖とも呼べる「はづ別館」を運営する株式会社はづ代表取締役会長の加藤浩章氏にお話を伺った。
「客が価格を決める」サービスを始めた動機
はづ別館が所在する湯谷温泉は、愛知県新城市の鳳来峡の板敷川沿いに位置し、山に囲まれた静かな環境の温泉地である。開湯は奈良時代と伝わる古湯で、その歴史は1300年以上といわれている。はづ別館は昭和24年創業、湯谷温泉で5番目に古い温泉旅館である。
現在、代表取締役会長を務める加藤浩章氏は2代目で昭和47年、26歳の時に先代より経営を引き継いだ。当時は好景気に支えられ、日本中の温泉街が繁栄を誇っており、はづ別館の経営も順調であった。
しかし、加藤氏が経営を引き継いだ翌年の昭和48年のオイルショックにより、状況は一変する。日本中が不景気に陥るなか、はづ別館も深刻な状況となる。つまり、客がまったく来ない状況になってしまった。こうした状況を打破すべく、当時、集客の中心であった旅行会社に出向き、たび重なる交渉等を行ったが、何をどうしても客が来ない日々が続く。
こうしたなか、加藤氏は「商売の仕方を変えなければならない」と覚悟を決める。当時は「発想の転換」「知恵を出せ」「心の時代」といった言葉がしきりに叫ばれる時代でもあった。自らが行っている商売を一から見つめ直した結果、ふと思うことがあった。
それは「自らがつけた価格(定価)」は正しいのか、ということだ。旅館の料金に限らず、住宅や洋服や靴など、ほとんどの商品やサービスは客が消費する前に売り手が料金を決定している。これは間違っているのではないか、客が未だ体験・消費していないサービスにお金を出さない、つまり旅館に客が来ないのは当然ではないか、ということである。
各商品やサービスに対して、消費者の消費後の評価や満足度は異なっており、本来、こうした各消費者の評価や満足度など価値観に応じて価格は決定されるべきではないか、との考えに行きついた。つまり、売り手が先に価格を決定する定価というものに納得がいかなくなったわけである。
客が価格を決める、つまり客の価値観を反映したシステムならば、客は安心して利用できる。また、客の納得感、満足度は向上する。もちろん、旅館側の納得感、満足度も向上する。
こうした経緯を踏まえ昭和57年、加藤氏37歳の時に「客が享受したサービスを評価し、その価値観で価格を決定する」というシステムを開始している。その後、加藤氏が一線を退くまでの30年、はづ別館において、このシステムは実施された(基本は個人ごとに価格を決定、団体客の場合は部屋ごとに決定)。現在は、はづ別館では実施してないが、系列の旅館において、企画商品プランのひとつとして客室限定などの形式で実施している場合もある。
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