東京五輪開催が目前に迫り、東京の都市改造も慌ただしくなってきた。各所で工事が続けられているなか、五輪とは関係ない公共工事も多い。そのうちのひとつが、区庁舎の建て替え工事だ。
東京23区の区庁舎は、終戦後から順次建設が進められた。そのため、多くの庁舎が竣工から60年を経過している。老朽化の観点からも建て替えは必然的だが、多くの区で時期が重なっていることで人手が奪い合いになり、それが工費を押し上げる要因になっていた。また、東京五輪も追い打ちをかけた。
東京都の財政は、一般的に潤沢といわれている。しかし、今後は東京23区も人口減が避けられない。人口減による税収減や、高齢化による社会保障費増というダブルパンチで、とても新庁舎を建設できるような財政的余裕はなかった。
無理に新庁舎を建設するなどと言い出せば、区民感情を逆なでする。区長や区議は次の選挙が危うくなるだろう。そうした意識から、区庁舎の建て替え案は長らく浮上しなかった。
しかし、新庁舎に後ろ向きだった自治体の姿勢にも少しずつ変化が生じている。今年1月15日に渋谷区が区庁舎の建て替えを終え、新庁舎で業務を開始。そのほかにも中野区や世田谷区、北区、荒川区が新庁舎の建て替え計画や議論を進めている。
豊島区、“実質0円”で区庁舎建設
「はっきり言うと、豊島区が2015年に竣工した新庁舎の存在が大きいと思います」と言うのは、ある東京23区の職員だ。職員が名指しした豊島区の旧庁舎は、JR池袋駅から徒歩5分ほどの距離の明治通り沿いにあった。決して不便な場所ではなかったが、建物の老朽化は激しく、区議や区職員からも早急な建て替えを望む声が強かった。
豊島区の財政は決して楽観視できない状態にあったが、そうしたなかで豊島区は新庁舎への建て替えを決断。新天地を区庁舎から近い、東池袋に決める。
新庁舎の計画が進むなか、豊島区には大きな衝撃が走った。元総務大臣の増田寛也氏が座長を務める日本創成会議が、14年に消滅可能性都市を発表。それは、約1800ある市町村のうち896が40年までに消滅する危機にあるという内容だった。増田レポートとも呼ばれる発表は、総務省や地方自治体関係者を震撼させた。また、消滅可能性があると名指しされた自治体の住民間でも大きな波紋を呼んだ。
新庁舎の建て替え計画を進めていた豊島区にとっても、増田レポートで激震が走ることになった。なぜなら、増田レポートで豊島区は「東京23区で唯一、消滅可能性がある」と指摘されていたからだ。豊島区は若者であふれる池袋を擁するだけに、人口減・高齢化とは無縁のように思われてきた。それだけに、増田レポートは豊島区を大きく揺るがす。
「増田レポートの反響は大きく、区民からもお叱りに近い電話をたくさんいただきました。また、区民が集まる場でも、『どういうことなんだ』『詳しく説明してほしい』と詰め寄られることもありました」と話すのは、豊島区のある職員だ。区民から殺到した声には、「税金を投入して、新しい庁舎なんてつくっている場合じゃない」という意見が強かった。
しかし、豊島区の新庁舎建設は、区民から徴収した税金をいっさい投入していない。
「豊島区の旧庁舎跡地は、定期借家制度を使って民間に貸し出します。そのため、賃貸収入が約191億円も生まれます。また、再開発による国からの補助金制度を活用して約106億円の補助金が入ります。さらに、新庁舎の上階はもともとの地権者の住居になりますが、地権者以外にも新たな入居者を募って販売しますので販売収入も入ります。定期借家の賃貸料・補助金・販売収入の3つにより、豊島区は“実質0円”で区庁舎建設を実現できたのです」(前出・豊島区職員)
金をかけず、シンボルになる建物を建てる
今般、ITによって市役所や区役所といった役場には足を運ばずとも、公的な手続きが可能になっている。また、民営化や民間委託化なども進み、税金や健康保険などの公的な支払いも銀行ATMやパソコン、コンビニでできるようになった。
こうした変化により、区民は役所まで足を運ばなくなった。さらに、本来は役所の業務でもあった住民票や納税証明などの交付も、一部の自治体ではコンビニ交付が可能になっている。そうした状況が、庁舎の不要論を強くしている。
「そうした状況の変化もあって、『奢侈な庁舎はいらないのではないか?』という指摘も多々ありました。しかし、庁舎はその自治体の顔ともいえる建物です。あまりに貧相な建物にしてしまうと、区のイメージを悪くすることにもつながります。実際、区民からは『区庁舎はシンボル。大きな建物にするべきだ』という意見も根強くあります」(同)
金をかけず、それでいてシンボルになるような大きな建物にする――そんな相反した考え方を両立させたのが豊島区の区庁舎だった。
豊島区庁舎の建て替えが成功事例として各自治体に伝わると、庁舎の建て替えに慎重になっていた自治体が続々と視察に訪れる。そして、豊島区のスキームを模倣していくことになった。
有権者の厳しい監視
しかし、庁舎建設は初期費用もさることながら、年間の維持費や補修費も莫大になる。最近では庁舎内にコンビニやカフェなどの店舗を入れ、その家賃をランニングコストに充てるといった手法が増えている。
それでも、家賃で得られる収入では庁舎の年間維持費すべてを賄うことはできない。特に年間維持費が高いと批判されがちなのが、東京都庁舎だ。
「都庁舎の年間維持費は約40億円とも試算されており、そのほか、時代に合わせた耐震化、近年では環境に配慮した太陽光発電や緑化も求められるようになった。これらの費用は年によって変動するので簡単には算出できないが、年間20~100億円かかるといわれています」(東京都職員)
都庁舎は竣工から、まだ30年も経っていない。それなのに、早くも各所で雨漏りが発生し、通常のメンテナンスとは別に補修費が膨らんでいる。都庁舎の改修費用は、一般財源を充てずに未活用の都有地を売却するなどして資金を捻出する方針にしている。だが、その都有地も都民の財産であることはいうまでもない。都有地を売却するということは、都民の財産が目減りすることを意味する。
2020年前後に、各自治体の庁舎は一斉に更新期を迎えた。弱りはてた自治体は、さまざまな策を駆使して税金をできるだけ使わない方法を編み出した。それは、有権者が税金の無駄遣いに目を光らせていたから、編み出された錬金術でもある。有権者が税金の無駄遣いに関心を寄せなければ、無計画に不必要なハコモノがあちこちにつくられてしまうだろう。実質0円でつくられた豊島区庁舎を礼賛する向きは強いが、それも有権者の厳しい監視があってこそ。絶えず、行政を監視することを怠ってはいけない。
(文=小川裕夫/フリーランスライター)