なぜクラシックオーケストラは、「ドレミ」を使わない?ビールも音楽もドイツからの輸入モノ
僕の父親は、昭和10年に中国の青島で生まれました。とはいえ、篠崎家は福岡・博多の家系です。当時、日本軍の支配下にあった青島で、貿易の事業をしていた裕福な家で父は生まれたそうです。
「青島」と聞くと多くの皆さんは、中華料理店でお馴染みの「青島ビール」を思い浮かべるかもしれません。実は、その青島ビールを最初につくったのはドイツ人です。日中戦争の後、欧米の大国が入り込んで来たどさくさのなか、1898年にドイツは青島を含む膠州湾を以後99年間にわたる租借地とし、ドイツ海軍の軍港やヨーロッパ的な街並みをつくりましたが、ドイツ人にとって無くてはならないビール工場もつくったのです。
その後、第一次世界大戦の敗北によってドイツが中国を去ってしまったのちも日本、そして第二次世界大戦後の中華人民共和国と、国は変われども青島ビールをつくり続けてきたのです。2017年にケニアでも販売を始めたことで、世界100カ国・地域で飲まれるビールとなりました。
ちなみに、青島でドイツからそのまま工場を引き継いだ日本のビール会社、大日本麦酒は事業を拡大し、サッポロビールとアサヒビールを製造したこともよく知られています。1999年、アサヒビールと青島ビールが合弁会社をつくり、中国国内で主力商品の「スーパードライ」を現地生産、出荷していることを考えると、歴史の面白さともいえます。
つまりは、日本のビールはルーツをたどれば、ドイツのビールに行き着きます。そのため、日本ではラガービールが一般的になっているのです。最近、流行っているエールビールはイギリスのビールですが、イギリスビールが入ってくる前にドイツビールが日本を席捲してしまったわけです。
日本は長い鎖国時代を経て開国し、待ったなしの状況で富国強兵に取り組んでいました。欧米の列強国の植民地主義により、日本は無理やり開国させられたわけで、いつ、どこの国の植民地になっても不思議ではありませんでした。実際に、インドを含めた東南アジアの諸国は、第二次世界大戦終結までは植民地として大国に搾取し尽くされていたわけで、それから逃れることができたのは日本とタイだけでした。
当時の日本は、欧米諸国のさまざまな技術や文化を急速に取り入れていましたが、ドイツからは医学や法律だけでなく、陸軍システムも取り入れました。ただ、ドイツと違い日本は海に囲まれているので、海軍の充実も必須になります。そこで、同じ島国でもあるイギリスの海軍のシステムを取り入れたのが、現在にも続いています。
もともと、イギリスのヴィクトリア女王が王室ヨットの船乗りの制服として採用したセーラー服が、のちに英国海軍の制服となり、今もなお日本の若い海上自衛隊員が着ているのは、こういう経緯があるのです。ちなみに、日本の国民食ともいえるカレーライスも英国海軍から伝えられています。インドの代表料理のカレーが、当時インドを植民地としていたイギリスに渡り、辛さが抑えられてイギリス風になったものを、英国の海軍兵が軍艦の上で食べていたのです。それが日本海軍にも伝わり、今でも海上自衛隊員は金曜日には必ずカレーを食べるそうです。これが日本全国にカレーライスが広まった経緯とされています。そのため、同じカレーでも、本場インドのカレーとは似ても似つかないものになりました。