ベートーヴェン、あの名曲の驚きの誕生秘話…難聴ゆえに残された“生々しい”会話帳139冊
4月4日、仏パリのオークション会場であるオテル・ドゥルオーにて、フランス皇帝・ナポレオンが妻・ジョゼフィーヌに宛てたラブレター3通が競売にかけられ、51万3000ユーロ(約6400万円)で落札されたというニュースが、世界を駆け回りました。
その中の1通を紹介すると、1796年のイタリア遠征中に書いたもので、「愛しい君から手紙が来ない。君の夫は多忙で疲れていても、君だけを思い、君だけを求めている」という熱烈な内容です。
この年、ナポレオンはジョゼフィーヌと結婚したばかりにもかかわらず、フランス総裁政府のポール・バラス総裁から副官に指名され、イタリア遠征に将軍として赴くことになりました。実は、ジョゼフィーヌはバラスの愛人だった女性。つまり、上司であるバラス総裁の愛人を奪ったかたちです。当時、フランスは敵対していた大国オーストリアを攻略するにあたり、ドイツとイタリアに部隊を分け両面からオーストリアを挟み撃ちする戦略を取っており、ナポレオンはイタリア側を任されました。
愛人を奪い取られたバラス総裁の心中は、今さら知る由もありませんが、ドイツ側のフランス軍は大苦戦していた一方で、イタリア側のナポレオン軍は連戦連勝。そして翌年の4月にはオーストリアの首都ウィーンに迫り、ナポレオンは総裁政府に無断で講和交渉を締結するという大胆な行動をとりました。オーストリアの領地であった北イタリアの広大な土地と戦利品を手にジョゼフィーヌが待つパリへと凱旋し、フランスの英雄として市民から熱狂的に迎えられました。
その後、クーデターを起こして総裁政府を倒し、フランス総裁に就任するのは広く知られている通りです。
ちなみに、このバラスという人物は“悪徳の士”というあだ名がつけられていたくらい、腐敗にまみれていました。革命の英雄であるロベスピエールがバラスの不正を嗅ぎつけたことを知るや、逆に陥れて処刑したり、銀行や商人と結託して暴利をむさぼったといわれています。
ナポレオンは、そんな悪徳なバラスを上司としてよく知っていたため、自分が不在中にジョゼフィーヌに再び近づかないかと心配して、あのようなラブレターを書いたのかもしれません。同じ手紙のなかで、「夫のことを忘れてしまうくらいだから、ほかに何か夢中になることがあるんだろうね」とも書いており、そう考えてみると意味深長です。武人としては勇敢なナポレオンも、妻を残して戦場にいる夫としては、気が気ではなかったのでしょう。
ナポレオンとベートーヴェンの関係
さて、ナポレオンがウィーンに迫っていた1797年、ウィーン在住の作曲家ベートーヴェンは、「オーストリア軍歌」を作曲しています。あのベートーヴェンが軍歌を作曲したというのは意外ですが、この曲をきっかけに独ボン生まれのベートーヴェンの名前は、ウィーン市民にまで浸透することとなったようです。
しかしながら、ベートーヴェンの偉大な音楽をもってしても、戦況を変えることはできず、オーストリアはフランスと講和条約を結ぶわけですが、その翌年、フランスは全権大使として、ベルナドット将軍をウィーンに送り込んでいます。そこで、音楽史上、とても重要な出来事がありました。それは、随員のひとりとしてヴァイオリンの名手、ロドルフ・クロイツェルもフランスから連れて来られたことです。
この天才的ヴァイオリニストのために、ベートーヴェンはヴァイオリン・ソナタの最高傑作のひとつ「クロイツェル・ソナタ」を作曲します。もともと啓蒙思想家であるベートーヴェンにとっては、市民革命を起こしたフランス、しかも平民出身のナポレオンは理想像であり、クロイツェルに作曲することはフランスに対するアピールがあったのかもしれません。
のちにベートーヴェンは交響曲第3番を作曲した際に、「ナポレオン」と名付けようとしたくらいです。きっかけはともかく、この2つの作品は、後世の音楽好きにとって大きな財産となりました。
その後、ご存じの通り、ナポレオンはフランス皇帝に就任し、1809年には本格的にウィーンを攻めています。当時、持病の難聴が深刻化していたベートーヴェンは、大砲の音によって耳を傷めないようにクッションで頭を覆って耐えていたそうです。作曲家にとっては悲劇ともいえる難聴ですが、それによって「会話帳」という、ベートーヴェンを知ることができる貴重な資料が残されることになります。
特に、晩年のベートーヴェンは会話を交わすことすら困難になり、身近な人や訪問者とも筆談で意思疎通を図っており、会話帳は139冊も残されています。その会話帳によって、彼の私生活から活動状況まで、我々は生々しく知ることができるのです。ただ、ベートーヴェンは自分で話すことはできたので、会話帳には相手が書いた文章が書かれているのみです。ベートーヴェンの生の声は想像するしかないですし、ベートーヴェンの死後、弟子によって都合の悪い文章は改ざんされたりもしましたが、それでも彼の人物像を描く貴重な資料であることには変わりありません。
会話帳には、残念ながらベートーヴェンの直筆は書かれていません。直筆の資料であれば、骨董的な価値も出てきます。たとえば、2011年にオークションにかけられた、ベートーヴェンが召使いに渡した単なる「買い物メモ」が、本人の直筆ということで6万ユーロ(当時のレートで約700万円)の値が付きました。
(文=篠崎靖男/指揮者)