創業家への“大政奉還”だ。警備最大手のセコムは、6月26日開催の定時株主総会と取締役会で、尾関一郎常務取締役が社長に就く。中山泰男社長は代表権を持つ会長になる。
尾関氏は創業者・飯田亮取締役最高顧問の娘婿だ。飯田氏はすでに86歳で、「自分の目の黒いうちに、娘婿を社長に就けることに執念を燃やしていた」(セコムグループ関係者)という。飯田氏の悲願達成である。
尾関氏は学習院大学経済学部経済学科を卒業し、1984年4月に住友銀行(現・三井住友銀行)へ入行。92年4月東京製鐵に転職。2001年1月、セコム損害保険に顧問として入社。同年6月に同社取締役、10年4月に49歳の若さで社長に就任した。
さらに15年4月、セコム本体の執行役員に就いた。16年6月、序列18位の執行役員から、序列5位の取締役に抜擢された。取締役に昇格するのに伴い、セコム損害保険では社長から会長になった。
17年6月から常務取締役を務め、ついに今年6月に社長の椅子に座る。
尾関氏の住まいは東京・世田谷区の高級住宅街。同じ敷地内に飯田氏の豪邸がある。飯田氏が執念を燃やしてきた“創業家社長”実現に向けての布石といわれているのが、3年前のセコム会長・社長の異常な解任劇だ。
会長・社長解任のクーデター
セコムは2016年5月11日の取締役会で、「前田修司会長(当時)のもとで風通しが悪くなった」という理由で、前田氏の解職動議が出された。11人中6人が挙手で賛成し、動議は可決した。前田氏に付き従う意向を示した伊藤博社長(同)も解職。後任の社長には日本銀行出身で、07年にセコムへ入社した中山泰男常務が昇格した。
前田氏の退任は16年3月に設置した任意組織の指名・報酬委員会(社内3人、社外の計5人の取締役で構成)で検討したが、結論は出なかった。委員の名前や議論の詳細は公表していない。そこで5月11日の取締役会で前田氏の解職動機が出され可決した。前田、伊藤両氏は同日付で取締役を退任した。
セコムの16年3月期連結決算は純利益が4期連続で最高となった。好業績が続くなかでの突然の退場だった。前田、伊藤両氏の退任を発表するニュースリリースには「コーポレートガバナンスの徹底、人心の刷新をはかるため」としか書いていなかった。
創業者で最高権力者である飯田氏が強権を発動した「会長・社長解任クーデター劇」と取り沙汰されたが、いまだに関係者は口を閉ざしたままだ。
セコムは16年3月25日付で、新年度の執行役員体制を公表。それは、「前田氏は執行役員を退任するが、代表取締役会長は変更なし。伊藤氏は代表取締役社長を続投する」となっていた。つまり、4月1日からの新年度は前田・伊藤体制が継続することが決まっていたのだ。それが覆されたのはなぜか。
パナマ文書の対応で創業者と経営陣に亀裂
16年4月4日、セコムに激震が走った。同日付東京新聞は、パナマ文書の分析から、「セコムの創業者や親族につながる複数の法人が一九九〇年代に租税回避地につくられ、(そこで)当時の取引価格で計七百億円を超す大量のセコム株が管理されていることが分かった」と報じた。
「創業者」とは、取締役最高顧問の飯田亮氏と元取締役最高顧問の故・戸田寿一氏を指す。
「文書によると、法人が設立された租税回避地は英領バージン諸島、ガーンジー。飯田氏や故戸田氏は法人を使い大量のセコム株を間接的に管理する仕組みを構築。これに伴い両氏が直接保有するセコム株は大幅に減少した。さらに株の一部は、両氏の親族につながる租税回避地の法人がそれぞれ管理する形にした。法人間の取引は贈与にならない」
セコムの広報部は「税務当局には詳細な情報開示を行っており、適正な税金を納めている。課税を免れるためのものではない」と、書面で回答した。
しかし、説得力に欠けた。適正に情報開示をし、納税しているのであれば、わざわざタックスヘイブン(税法回避地)に複数の法人をつくり、持ち株を創業者の親族に移転して管理する仕組みなど必要ないからだ。現在、飯田氏の持ち株比率は1.8%にとどまる。
パナマ文書によって、飯田氏の課税逃れの舞台裏が暴かれた。前田・伊藤両氏が解職されたのは、パナマ文書の対応にあったと囁かれた。
「セコムのコメントは飯田氏の意向で出されたらしいが、これに対して会長・社長サイドが『通り一遍のコメントでいいのか』と不満を漏らした。それが飯田氏の耳に入った」(セコムグループ関係者)
この年、6月26日に開催したセコムの定時株主総会で、飯田氏は体調不良を理由に欠席した。新社長に就く中山氏は、会長・社長の解職についての説明に追われた。ある株主が「飯田氏は、ぼちぼち卒業され、若い人に名実ともにやらせる時期ではないか」と、暗に退任を求めた。
この時、新たな取締役候補には尾関氏が含まれていた。飯田氏は娘婿への「事業承継」を心に描いていたため、「力をつけてきた前田・伊藤両氏を切った」(前出関係者)とみられている。中山氏はワンポイントの“つなぎ役”とみなされてきたが、実際、その通りになったのだ。
オリンピックはセコムの原点
セコムの2019年3月期連結決算は、売上高が前期比4.5%増の1兆138億円、営業利益が同3.9%減の1302億円、純利益が同5.8%増の920億円だった。警備サービスの契約数が伸び、売上高が初めて1兆円の大台を超えた。西日本豪雨や台風などの自然災害の影響で保険事業の採算が悪化し、営業減益となった。
尾関新社長の初決算になる20年3月期の連結決算は、売上高が19年同期比2.4%増の1兆380億円、営業利益は同1%増の1315億円、純利益は同9.8%減の830億円となる見込み。米国で手がける投資事業の運用益が減ったことで営業外収益が減るほか、会計上、税負担が増えることが響き、最終利益は減益になる。
東京オリンピックはセコムの原点だ。1964年の東京五輪において、代々木の選手村の警備を請け負ったのが日本警備保障、現在のセコムである。日本警備保障をモデルにしたテレビドラマ『東京警備指令 ザ・ガードマン』(TBS系)がヒットしたことで、警備業の仕事が認知された。
2020年の東京オリンピック・パラリンピックでは、セコムや綜合警備保障(ALSOK)は大手通信会社と組み、バーチャル警備に挑む。大容量のデータを瞬時に送れる次世代の通信規格5Gの時代になれば、業容は様変わりするだろう。カメラが見てAI(人工知能)が危険の有無を判断する。東京オリンピックは、そんなバーチャル警備の実験場となる。
(文=編集部)