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江崎グリコ、40年ぶりに社長交代、40代の長男が世襲…幹部社員の退職が相次ぐ

文=Business Journal編集部
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大阪・道頓堀の江崎グリコの看板(「gettyimages」より)

 江崎グリコは3月24日に開催した定時株主総会で江崎勝久社長(80)の長男、江崎悦朗代表取締役専務執行役員(49)が社長に就任し、勝久社長は代表権のある会長に就いた。今年2月11日、創立100周年を迎えたのを機に世代交代する。社長交代は実に40年ぶりのことだ。

 江崎グリコは創業から2世紀目に突入し、創業者、江崎利一氏のひ孫にあたる悦朗社長の時代を迎えた。悦朗氏は兵庫県出身。1995年3月、慶應義塾大学総合政策学部卒。サントリーなどでの武者修行を経て、2004年4月、江崎グリコに入社した。08年に取締役、10年に常務執行役員に昇進。マーケティング本部長として販売政策を指揮。16年、代表取締役になった。海外事業を統括する子会社の社長も務めてきた。

勝久会長はグリコ・森永事件の当事者

 創業者の孫にあたる勝久氏は、実父が若くして亡くなったため、祖父・利一氏の手で育てられた。神戸大学経営学部卒業、利一氏が長年にわたり公私ともに親交があった松下幸之助氏の松下電器産業(現パナソニック)で実務経験を積み、1966年、江崎グリコに入社。82年、社長の椅子に座った。

 84年3月、勝久氏が目出し帽を被った3人組の男たちに自宅から連れ去られるという“誘拐事件”が発生した。日本列島を震撼させたグリコ・森永事件の始まりである。犯人グループは10億円と金塊100キロを要求する脅迫状を送りつけたが、誘拐された勝久氏は自力で脱出。事件は一気に解決に向かうものと思われた。

 ところが、犯人グループは「かい人21面相」と名乗り、グリコだけでなく森永製菓、ハウス食品(現ハウス食品グループ本社)など食品メーカーを次々に脅迫。「どくいりきけん たべたらしぬで」と書いた青酸入りの菓子を店頭に置くなどした。

 グリコ・森永事件は「劇場型犯罪」の走りといわれた。延べ130万人もの警察官が投入されたが2000年2月、全面時効が成立した。真犯人をめぐって、さまざまな説が取り沙汰されたが、そのどれもが確証を得るに至らず、事件は迷宮入りとなった。

 勝久氏は海外に積極的に進出した。ポッキーなどの主力ブランドをテコに米国や中国で事業を拡大した。2010年代以降はインドネシア、ベトナム、マレーシアなど東南アジアに進出。近年は創業理念である健康分野での大型商品の育成・強化に取り組み、菓子メーカーから健康企業へ転身を図ってきた。

 一方、悦朗氏は東南アジアの子会社社長を務めるかたわら、グローバルマーケティングを担当。健康を前面に押し出す戦略を取った。19年に3月期決算から12月に決算期を変更した。21年12月期を最終年度とする中期経営計画では「連結営業利益300億円以上」という目標を掲げた。勝久氏はこの達成を花道に社長を交代するシナリオを描いていたとされる。

 ところが、18年、幹部社員の退職が相次いだ。「カテゴリーマネージメント」と呼ばれる新しい制度では、チョコレートやビスケットといった約20の商品別に分け、それぞれの組織のトップが責任を負うかたちになった。信賞必罰の制度改革で年収が100万円減となった幹部社員も出た。アメと鞭の痛みに耐えかねた幹部が辞めていったといわれている。老舗の菓子メーカーからの脱皮が、遅々として進まないことへの苛立ちが経営トップにあったのかもしれない。

 この10年間、外部人材の登用を進めてきたことは間違いない。「会社の成長にはプロが必要」との勝久氏の持論に基づく。17年3月期まで6期連続で増収増益となったのは、勝久氏が起用した途中入社組の力に負うところが大きかった。

「社内は勝久信奉者ばかり。これが面白くない悦朗さんは周囲を自ら中途採用し、いわゆる“悦朗親衛”で固めた」(元幹部)

 勝久氏寄りとみなされた生え抜きや途中入社組は閑職に追いやられ、グリコを去っていった。その後、他社で能力を開花させる幹部も出てきて、逃がした魚が大きかったことが批判された。

「能力ではなく、好き嫌いで人事権を行使するため、恐ろしくて悦朗さんに物申す社員はいない」(前出の元幹部)

 勝久氏から悦朗氏への権限譲渡策は裏目に出たといえるかもしれない。勝久氏が抜擢した途中入社組が経営を担った17年3月期の業績(売上高3532億円、営業利益243億円)がピーク。彼らが去り、悦朗氏と「悦朗親衛隊」が実権を握ると、業績は下降線をたどることになる。これにコロナ禍が追い打ちをかけた。

 中計の最終年度である21年12月期の売上高は3385億円、営業利益は193億円。中計では「売上高の年平均の成長率を5%以上」としたが、年平均成長率はマイナス1.1%。マイナス成長に転落してしまった。

「営業利益300億円以上の目標を107億円もショートするという寒々しい結果となった。勝久さんは目標達成を花道に勇退するつもりだったが、これができなくなった」(別の元幹部)

 新たに策定した24年12月期までの新中期経営計画は「売上高平均成長率3~5%、営業利益率5~10%」と明記されている。「経営理念である健康分野や海外事業を軸に次の100年へ向けた成長を目指す」ことになる。

 勝久氏は外部からスカウトしてきた人材をうまく活用して成長につなげた。今回、表舞台に立つことになった悦朗氏が親衛隊を上手にコントロールして、再び成長軌道に戻すことができるかどうかだ。トップとしての力量が問われることになる。

電光看板は大阪・道頓堀の風物詩

 グリコの電光看板は大阪・道頓堀を彩る風物詩となっている。1935(昭和10)年、江崎グリコの創業者、江崎利一氏が人出が多い道頓堀に目をつけ、ネオン塔を建設したのが始まり。グリコの万歳サインは現在のもので6代目だ。

 利一氏は創意工夫をモットーとする起業家だった。佐賀県蓮池村(現・佐賀市)生まれ。1919(大正8)年、有明海の沿岸で漁師たちがカキの煮汁を捨てているのを目にした。カキにはグリコーゲンという栄養素が含まれているはず、とひらめいた利一氏は、グリコーゲンでの事業化を思い立つ。

 大阪市に移住し、栄養菓子を製造する江崎商店(江崎グリコの前身)を創業した。“てっぺん”を狙った利一氏は、三越百貨店に売り込みをかけた。断られること実に数十回。根負けした三越の担当者がグリコのキャラメルを売り場に置かせてくれた。1922(大正11)年2月11日のことだ。だから、2月11日が江崎グリコの創立記念日となっている。

(文=Business Journal編集部)

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