地方で指揮をしていた時のことです。久しぶりに再会した音楽大学時代の同級生が奏者として演奏していましたが、リハーサル中はお互いにバタバタとしていたので、本番直前の食事休憩の際に、少しゆっくりと話せればと思い、「本番まで時間があるから、一緒に楽屋でお弁当でも食べない?」と誘ってみました。
しかし、残念なことに友人は、「今日、食事はすでに他の楽員から誘われていて、当地の名物ハンバーグを食べにいくことになっているんだよ」との返事でした。結局、一人さみしく、楽屋に用意された弁当を食べることになりました。
よく考えてみると、ただでさえ短い本番前の食事休憩の間に、何人かの楽員と外に出かけていって、素早くハンバーグを食べてくるということに驚きます。せっかくオーケストラが用意しているお弁当を食べずに、一食でもおいしいものを食べたいという楽員たちは、楽器演奏において人並み外れた才能を持っているだけでなく、おいしい店を探し出す才能も持っている人が多いのです。
僕が不思議に感じているのは、楽員たちはこれまで行ったことにない街であっても、なぜか“安くておいしい店”を探し出してくることです。どんな場所でも、“高くておいしい店”は簡単に見つかりますが、そんな高級店には目もくれず、外観は古くさい小料理店、実際に入って注文しても、長年使い込まれた古ぼけた皿に料理が乗せられてくるような店を選ぶこともあります。。しかし、料理を口に入れてみると、「なんだ、このおいしさは!」と驚いてしまう。地酒も良いものが揃っている――。そんな店を探し出します。しかも、地方に行けば行くほど、高級な店よりも穴場の店のほうがおいしいのです。
そんな彼らについて行けば、その日の夕食は間違いなく保障されますが、彼らにとっては指揮者の悪口も肴に楽しい時間を過ごすわけなので、指揮者の僕としては、そんな大事な肴のひとつを奪わないよう遠慮して、冒頭のように一人でさみしく夕食をとることもあるわけです。
そんななか、あるベテランのコンサートマスターと一緒に食事をした際、スマートフォンでお店を探しながら「駅からそこそこの距離だし、この店名だと多分、大丈夫」と言われ、半信半疑でついて行ったお店が大当たりだった時には、本当に驚いてしまいました。
リハーサル以外の限られた時間の中で、どうやってそんな店を見つけるのか、僕には見当もつかないのですが、友人のトランペット奏者などは、リハーサル後に街をぶらぶらしているだけで、なんとなく、「ここはおいしそうだ!」ということがわかるそうです。店構えではなく、どれだけ地元の人が入っているのかも大きな要素だと教えてくれました。
特にトランペットのような金管楽器は、酒も肴も好きという奏者が多く、アルコール自体、音楽大学時代から鍛えに鍛えられています。音楽系のなかでもっとも体育会系ということもあり、上下関係もしっかりしているので、リハーサルが終わると、すでに若手奏者がお店を予約しているといった話も耳に入ってきます。若手楽員は、先輩楽員の「ここはうまいと思うよ」という店選びを見ながら、演奏だけでなく演奏後のお店探しの嗅覚も順調に成長を遂げていくのです。ただ、今回の新型コロナウイルス感染症が始まってからは、このような会食が控えられているので、若手の経験不足が心配されます。
旅先でのオーケストラ楽員たちの食事
旅先で公演を控えるオーケストラ楽員にとって、朝食はリハーサル前なので、とにかくサッと食べておくだけですし、昼食はコンビニ弁当やサンドイッチを食べることも多いため、やはり夕食は最重要課題となります。夜は自家用車で帰宅したり、長時間電車に揺られて帰る必要もないので、ゆっくりと地元も酒や肴に舌鼓を打つことができます。満腹になれば、歩いてホテルに帰るだけです。リハーサルや本番の緊張から解き放たれた、かけがえのない楽しい時間であり、同僚の演奏家との大切な情報交換の機会でもあります。
もちろん、オーケストラの楽員にも、さまざまなリハーサル後の過ごし方があります。たとえば、仲良しの女性奏者グループのうち一人が、現地に住む元同級生から評判のイタリアンレストランを聞いておいて、その元同級生も含めて優雅に食事をすることもあるでしょうし、コンビニでおにぎりを2つだけ買って、ホテルの部屋で練習にいそしむ方もいるでしょう。
一方、指揮者は、主催者から「スポンサーと一緒にお食事を」と社交的な夕食会に招かれ、同様にお誘いを受けたソリストと一緒に、地元の高級店で最高の料理を頂くことも多くあります。そこでは、すばらしい料理が並びますが、とにかく粗相のないように気を配りながら頂くフォーマルな食事なので、味わうよりもしっかりと前を向いて会話をすることに専念します。もちろん、相手が旧知の方や気楽な方なら楽しく過ごせますが、多くの場合は食事のあと、ホテルの部屋に帰ってから、もう一杯ビールを飲んでホッと一息となります。
地元の高級店の見事に飾り付けられた八寸、そしてごま油でカラリと揚げられた最高級の魚の天ぷらも良いのですが、楽員が見つけた、古くさい店のお通しのマグロの山かけで中ジョッキのビールを飲みながら、熱々の肉じゃがコロッケとだし巻き卵を注文しているのが、僕は性に合っているだけなのかもしれません。
(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)