日本文化に興味がある外国人には、「能」や「歌舞伎」に心を強く惹かれる方も多いと思います。特に能は、「これこそ日本文化!」と言えるような、静だけでなく、その中に秘められた激しい動を感じさせるような素晴らしい伝統芸能です。
ただ残念ながら、僕のような不慣れな鑑賞者には、舞台上で演じられている内容を知るための重要な歌詞があまりにもゆっくり歌われるために、ガイドが無い限りすべてを理解するのが容易ではなく、長年、能楽堂に通い詰めている玄人はだしの通の観衆が心から堪能しているようにはいかないのが残念なところです。
とはいえ、クラシック音楽であっても、ある程度聴きこまなければあまり楽しめない作曲家の作品も結構ありますし、内容を熟知している玄人筋の楽しみというのもよくわかります。能を何度も何度も見ているうちに、歌詞がゆっくりと流れていたとしても、しっかりと理解できるだけでなく、言葉と言葉の間の情感をも楽しむのが粋なのだろうと想像します。
ところが、そんな僕の想像とは裏腹に、最近の研究では能を確立した世阿弥の室町時代には、現在の倍の速度で歌われ、演じられてきたという話を聞いて驚きました。600年前に世阿弥が活躍していた当時の録音や映像が残っていないにもかかわらず、どうしてそんなことがわかるのかといえば、演目と上演時間の記録が残っているからです。現在は1時間かかる演目が、当時は30分程度で終わっていたそうで、2倍のスピードで能の舞台が進んでいたことになります。
2002年、横浜能楽堂で“復活能”と銘打ち、「秀吉が見た『卒都婆小町』」という実験的な能の公演があったそうです。上演時間が1時間半かかる『卒都婆小町』を、復活能では50分で演じたのです。
たとえば、これまでは登場人物の小町が橋がかり(花道のような役者が登場する通路)を登場するのに15分間もかけ、一歩一歩を重いすり足でゆっくりと歩みつつ、老いの悲哀を歌っていた場面が、この復活能では5分もかからず、もはやすり足ではなくリズミカルに駆け寄るように舞台に登場してきたそうです。
実際に、この舞台映像を少しだけ見ることができたのですが、歌もテンポ速く歌われるので内容がよくわかり、役者の動きも速く、きびきびとしており、秀吉が生きていた約400年前の古いやり方にもかかわらず、とても新鮮に感じるくらいでした。
この演目の台詞ではありませんが、わかり易い例として、「こ~~の~~ま~~つ~~で~~~」とゆっくりと歌われると、聴衆は頭の中で言葉を結び合わせて単語をつくり直して理解しなくてはなりませんが、「この松で~」とさっと歌ってもらえば簡単に理解できます。
雅楽は当初、今より数倍の速さで演奏されていた?
日本の伝統芸術では、ほかにも本来のテンポよりずいぶん遅くなったものがあります。雅楽もそのひとつです。「Wikipedia」で雅楽を調べてみると、特に昭和初期から現代にかけて、大半の管弦曲のテンポが遅くなったと記されており、曲によっては明治時代に演奏されていたテンポより3倍近く遅くなった曲もあるそうです。
本来の演奏速度に復元した公演をYouTubeで見ることができます(https://youtu.be/q2CQkYTi37M)。
現在では5分間かかる雅楽の曲を、当時を再現して20秒ほどに短縮した演奏ですが、メロディーも覚えやすく、とても聴きやすいだけでなく、まるで雅楽がアジア大陸的な歌謡音楽のようです。
ちなみに、これが現在の演奏速度による演奏です(https://youtu.be/9BQUXAx3ZhQ)。まったく違う曲に感じると思います。
音楽の演奏には、テンポがとても重要なのです。一つ例を挙げると、『夕焼け』のメロディーを3倍の遅さで演奏してみてください。何の曲かわからなること、間違いありません。以前、あるテレビ番組で、歌謡曲をものすごく遅く流して何の曲かを当てるというクイズがありましたが、誰もが知る大ヒット曲であっても、なかなか当たらないのです。これも同じ理由です。
平安時代や室町時代の雅楽のテンポが、現在の雅楽とはまったく違うと指摘したのは、イギリスの音楽学者ローレンス・ピッケンです。彼は雅楽のゆっくりとした音の進行の中に、海外から日本に渡来した大陸的で歌謡的なメロディーが潜んでいることを発見したのです。彼の説によると、雅楽は1000年以上の歳月をかけて何倍も、曲によっては10倍以上も遅くなったというのです。
では、なぜ能や雅楽の速度が遅くなってしまったのでしょうか。西洋音楽を専門にしている僕にはよくわかりませんが、ゆっくりと演じたり演奏するのは、とても難度が高いために、名人といわれる人たちが名人芸を見せるために遅くしていったとする説や、深い味わいを出すために、ゆっくりと重くする傾向が進んでいったとする説など、いろいろありますが、おそらく、いずれも正しいのでしょう。
クラシック音楽が能や雅楽ほど遅くならない理由
実は、クラシック音楽でも同じようなことがあったのです。18世紀、19世紀に作曲された多くの曲が、特に20世紀になって演奏のテンポがどんどんとゆっくりになっていったのです。
ベートーヴェンの『第九』を例に取ると、1955年にドイツの伝説的巨匠フルトヴェングラーが指揮した際には、75分近くかかっています。これはベートーヴェンが指定したテンポよりもかなり遅く演奏しているためです。そんなゆっくりしたテンポにより、ベートーヴェンの精神の中にまで入り込んだような、深い味わいに満ちた歴史的大名演となりました。
しかし、テンポが遅くなっていくのはこの頃までで、その後、彗星のように出現した天才指揮者カラヤンが、ベートーヴェンの指示した速いテンポで颯爽と演奏し始めたあたりから、クラシック音楽の世界では作曲家が作曲した当時のテンポや演奏方法を復元する動きが出てきます。そして1992年には、古楽演奏のエキスパートでもあるイギリス人指揮者ガーディナーが録音した『第九』の演奏時間は60分で、フルトヴェングラーより15分も演奏時間が短くなりました。
能や雅楽と同じく、20世紀前半まではどんどんテンポが遅くなっていったクラシック音楽ですが、ある程度の限界があります。特に、管楽器奏者や歌手などは呼吸を使うので、生理的な理由もあるからです。
もうひとつの理由として、クラシック音楽はハーモニーの移り変わりを魅力としているので、あまりにも遅すぎると、そこも楽しめなくなり、テンポを遅くするのにも限度があるのです。半面、日本の音楽は西洋的なハーモニーがないので、一つひとつの音を長く延ばして粋な表現を加えることができますし、それも玄人には楽しみなのでしょう。しかも、雅楽の演奏者も同じく呼吸をする人間なわけで、そのために長年の血のにじむような厳しい鍛錬があってこそできる、人間の限界を超えた超絶技巧だと思います。
平安時代前期に大陸から輸入された雅楽は、当初は娯楽音楽でしたが、次第にテンポが遅くなっていくうちに、華麗な技巧的奏法も捨て、高度に洗練されて人間的情感を超越した音楽に変貌し、日本人が1000年以上もかけて磨き上げてきた、世界に類例のない音楽形式です。そんな日本が誇るべき能や雅楽を基にして、武満徹さんや細川俊夫さんなどの日本を代表するクラシック作曲家たちが数々の音楽を作曲して、世界中で高い評価を受けています。
(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)