オーケストラ楽員、演奏の上手・下手はどう判断?指揮は上手すぎるとかえってダメ?
中世の街並みが残る、独ローテンブルクを訪れたことがあります。この街はドイツ旅行の人気コース・ロマンティック街道のハイライトともいえ、多くの観光客が訪れる素敵な場所です。中世にはローマ皇帝によって城が築かれ、その後、自由帝国都市として市民に自治権が与えられて、神聖ローマ帝国の上位20都市にランクインするほどの繁栄ぶりを誇った街でした。しかし、17世紀のペストの大流行によって多くの市民の命が奪われただけでなく、フランス軍にも攻め尽くされてしまい、財産も権力も失ってしまった悲劇の街となりました。
皮肉なことに、その後の発展もなくなり、忘れられた存在となったおかげで、中世の町並みがそのまま残ったのです。現在、ローテンブルクの経済の中心が観光業であることは言うまでもありませんが、街の城門をくぐってすぐ、中世ドイツにタイムトラベルしたような街並みとなります。
街があまり大きくないので、半日もあれば見て回れます。しかし、僕は日本人観光客に大人気の「ロマンティック街道バスツアー」のように、見終わったらすぐにバスに乗って次の街に移動という旅ではなかったため、帰りの電車まで時間を持て余してしまいました。
そこで、観光ガイド『地球の歩き方』(学研プラス)を見てみると、「中世犯罪博物館」というのが目に入りました。その内容は、中世に実際に行われた刑罰や拷問の道具が展示されており、なかには世界的に有名な「鉄の処女」もあります。これは身持ちの悪い女性に対する刑罰に用いられ、空洞のマリア像の中で無数の針が待ち構えているという、考えるだけで恐ろしい拷問具です。ちょっと悪趣味な博物館だと感じ、訪れるのは躊躇しました。
とはいえ、やることは何もないので、覚悟して行ってみることにしたのです。まずは、入り口にぶら下がっている大きなカゴが出迎えます。その中に罪人を入れて川に沈めたり、引き上げたりを繰り返す刑罰の道具です。最初から、エグさ100パーセント、入場をためらいながら書かれている説明を見ると、この刑罰は、原料の小麦粉を少なめにごまかして焼いたパン職人を懲らしめるためと書いてあります。悪趣味というよりも、少しクスリと笑ってしまうような内容です。
先述した世界的に有名な「鉄の処女」も、実際に使われたかどうかはわからないそうです。その根拠は、マリア像がこんな残忍な刑罰の道具であるとは考えられないということなのですが、つまりは「身持ちが悪い女性は、こうなるぞ」と戒めるための道具のようです。
博物館の中に入ってみると、確かに残忍な道具もあるのですが、口げんかが止まらない女性2人の首を、2つの穴が空いている板に挟んで、公衆の面前でけんかを続けさせる刑罰や、人通りが多い場所に座らせた罪人の足を固定して山羊に足の裏をなめさせたり、鳥の羽を持った子供に鼻の穴をくすぐらせたり、そんな面白おかしい刑罰が中心なのです。
ほかにも、中世では人々が名誉を重んじるということで、罪人に変な仮面をかぶらせて、大衆の笑いものにする刑罰もありますが、僕がもっとも恐ろしいと思ったのは、下手な音楽家の処罰方法です。
首に楽器を付けられ、街の広場のど真ん中で「下手くそな楽器を弾いた罪人」として、みんなの笑いものにされる刑罰で、この中世犯罪博物館の中で、音楽家の僕は背中に冷たいものが走りました。
もし、僕が中世時代に自信満々と指揮をしている際、警察がやってきて、「あなたの指揮は下手なので逮捕します」などと言われること想像すると、ぞっとします。警察の厳しい尋問を受けながら、「どうして僕の指揮が下手だと判断されたのでしょうか?」と反論しても、「じゃあ、上手だと証明できるのかね」と追及されてしまったら、答えることができません。
音楽家の上手・下手は、どのように判断する?
僕は何十年も音楽家をやっていますが、楽器を演奏するのが上手いとか、指揮を振るのが下手ということを判断する明確なガイドラインを尋ねられたら、正直、答えられる自信はありません。演奏者の場合は、音を間違えないとか、音程やリズムの正確さとか、少しは判断基準がありますが、それにしても、どのくらい酷いと“下手な演奏”ということになるのか、ボーダーラインがはっきりしません。
僕が指揮者をしていた海外のオーケストラで、ある管楽器奏者の演奏が良くないとして問題となったことがありました。その楽員は当時、演奏に大きく関わるような大手術をしたり、ほかにも体のトラブルを繰り返しており、同情する面は多々ありましたが、それを差し引いても、誰が聴いてもプロとしての演奏ができていなかったのです。
オーケストラ楽員は、各々が専門の楽器だけを演奏する職業なので、一般企業のように「大病のために体力がないので、営業から事務職に配属を変える」といったことはできません。また、問題の楽員にとっても公的にも認められた仕事であり、事務局も簡単に解雇することもできないのです。
その当時、オーケストラの事務局のトップと、音楽のトップである僕との話し合いは、楽員の代表者も含めて何度も行われたのですが、まったく結論が出ませんでした。「オーケストラ楽員として認められないくらい下手である」ことの証明ができないのです。その証明がなければ、「能力があるにもかかわらず不当解雇」として、演奏家組合も巻き込んで裁判沙汰となり、オーケストラは敗訴してしまうこと必至です。
実は、似たような話は世界中のオーケストラで起こっているようです。奏者を雇用するオーディションは簡単で、一番上手な演奏家を選べばよいだけですが、そもそも解雇する演奏基準はありません。一般社会において、「会社が期待したほど働けていない」というだけで解雇することは難しいのと同じです。
後日、問題の奏者の演奏を審査することとなりました。裁判となった場合に、「その奏者がレベルに見合わないことを証明するため」との説明を事務局から受け、楽員から選ばれた数名と僕との無記名投票となりました。しかし、このようなやり方自体にも無理があり、結果は否決。つまり、その奏者には継続してもらうことになりました。演奏が上手いか下手かを証明するのは、ほぼ不可能だと思った出来事でもありました。
指揮は上手すぎたらダメ?
とはいえ、プロの音楽家ならば、下手な奏者は明らかにわかります。それは、一音も音を間違えないとか、音程やリズムを外さないとか、そんな簡単な話ではありません。音楽家も人間なので時にはミスもありますし、ミスが多いけれども時代を超えて人々に大感動を与え続けるヴァイオリニストやピアニストもいるのです。そこは説明が付かない部分でもありますが、半面、「この人は、プロとして活動するのは無理だよね」ということは、熟練した音楽家ならば、すぐにピンとくるのです。
特に指揮の特殊なところは、一般的なテクニックから大きく外れた変な指揮をしているのに、オーケストラから出てくる音はこの世の物とは思えないくらい美しかったり、テクニックは完璧としか言えないような指揮をしているにもかかわらず、実際には心に響かない音しか出ていないことだってあります。その理由は、実はわかりません。不器用な話し方でも人の心を惹きつけてしまう人と、理論整然とよどみなく話ができるのに、相手の心をまったく惹きつけない人がいるのと、同じことなのかもしれません。
日本人は、世界的に見ても手先が器用といわれており、日本の伝統工芸品を見ても一目瞭然です。指揮も同じで、僕が世界中で活躍できたのも、欧米の指揮者よりも指揮が上手だからだと思います。ほかの日本人指揮者と比べて特別上手だとは思いませんが、上手ければ良いというわけではありません。
ロンドンのマネージャーから、「指揮が上手すぎると、音楽が伝わりにくい」というアドバイスをもらったことがあります。中世ならば、「指揮が下手」という理由により逮捕されることはなかったでしょうが、人の心に伝わらない指揮がするほうが、音楽家として本当の罪です。
それでも、中世に生まれて指揮者にならなくて本当によかったと思います。もし、ライバル指揮者に逆恨みでもされて、「篠﨑の指揮は下手だ」と刑事告訴され、警察の取り調べとして、オーケストラもいない部屋で、取り調べ官の前でベートーヴェンの『運命』の指揮動作だけするなんてごめんです。さらに、「やはり告訴の通り、あなたの指揮は下手くそです」などと言われたら、ものすごくショックを受けるでしょう。
(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)