今回が「世界を渡り歩いた指揮者の目」の最終回です。過去の連載を見てみると、京都大学在学中にオーケストラ部でフルートを吹いていらっしゃった、ノーベル医学・生理学賞の本庶佑さんの話題から、高額なマグロを落札する寿司ざんまい、ヨーロッパの社会保障制度、アメリカのマイノリティ問題など、音楽家が書くテーマとは思えないものから、「サザエさん」の音楽、志村けんさん、オリンピック、エリザベス女王の国葬と、さまざまなテーマを書いたと思います。
それでも、今回に至るまで231回、必ず音楽の話題を絡めるようにしていました。Business Journal編集部の担当者の話では、毎週書き続けた連載は僕だけだそうです。文才の無い僕がこの連載を引き受けたのは、「皆さんに少しでもオーケストラを身近に感じて、実際にコンサート会場で聴いてほしい」という指揮者・音楽家としての願いを込めてのことです。そんなわけで、連載のほとんどは音楽がテーマとなり、作曲家やオーケストラ、そして彼らの素敵な裏側もご紹介してきました。
2018年6月2日の第1回記事『指揮者ほど最高の職業はない!オーケストラ楽員との丁々発止の後の演奏は病みつき』を読んでみると、最初のポリシーを崩さずに4年半も書いてきたことを再確認します。その一方、これまでベートーヴェン、モーツァルト、オーケストラから寿司ざんまいに至るまで、いろいろと書いておきながら、自分のことをあまり書いていないことに気づきました。
「篠﨑さんのご実家は、音楽一家でしょうか?」
これは、指揮者となり世に出始めてから今に至るまで、常に聞かれる質問です。答えは、僕の実家はそば屋です。オーケストラ・コンサートの話をする時に、飲食業を引き合いに出すのには、そんな自分のルーツがあるからかもしれません。
「家で食べても、お店で食べても、体に入る栄養は同じ。しかし、お店でゆっくりとプロの味を堪能することで、心の栄養も頂き、元気に店を出て仕事、家庭と頑張ることができます。演奏会も同じです」
「クラシックコンサートは敷居が高いと言われるけれど、エレガントな服装を着こなして高級フランス料理や、日本料理のお店に行くのは、その敷居の高さを楽しんでいるのではないでしょうか」
こんなことよく言ったりするのは、ほかの指揮者とは違うかもしれません。
もちろん、クラシックコンサートは、カジュアルなポロシャツとジーンズでも大丈夫です。しかし、「ご夫婦でドレスアップするのも素敵ですよ」などと付け加えたりもします。例えば、ドレッシーな服装でオーケストラを聴いたあと、生ハムとペペロンチーノがおいしいイタリアンレストランを訪れ白ワインで乾杯をするのも、クラシック音楽の楽しみ方です。
肩回りの筋肉が発達する指揮者
そんなそば屋の息子ですが、実家での音楽関係といえば、姉がバレリーナで、今はバレエ教師として活躍していることは大きいです。幼稚園からピアノを習ったのは姉の影響ですし、その頃から、姉がかけているステレオから鳴り響く、チャイコフスキーの『白鳥の湖』に向かって指揮をしていたことを覚えています。。
話は逸れますが、英国に留学し、アメリカで活躍していたバレリーナの姉の思い出といえば、とにかくバレエ音楽を家中に鳴り響くような音量でかけ、食事や就寝以外ではテレビを見ていても雑談をしていても、ずっとストレッチをしているのです。とにかく、朝から晩まで、バレエ教室で踊っている以外はストレッチ。脚を180度開いて前屈をしながら、一緒にテレビを見ていました。
バレリーナは、子供の時から美しい体型をつくるという、まるで盆栽を育てているようなものだなあと思います。盆栽でいえば、一旦変な枝が伸びてしまったら、それはバレリーナとしては一生の弱点となります。子供の頃のトレーニングによって変な筋肉が付いてしまうと、それは修正できるものでもなく、舞台では美しくないのでキャリアにもかかわるそうです。
半面、トウシューズを履いているために舞台では見えないバレリーナの足の指は、長年の酷使で変形しています。大きくジャンプして足の指先で降りたり、30回以上も回って踊ったりしているからでしょう。そんな足にならないと、このような超絶技巧はできないのかもしれません。
変形といえば、指揮者にもあります。それは肩から肩甲骨にかけてむっちりと筋肉が付いているのです。とはいえ、マッチョではありません。指揮者は激しい運動をしているように見えますが、実は大した運動ではなく、ジムに通っている指揮者は別として、大した筋肉は付いていません。それでも、肩だけは別。
一つのコンサートで1万回は簡単に超えるほど指揮を振っているのですから、嫌でも肩周りに筋肉は付いてきます。指揮者の背中を見たら、デビューしたばかりの若手か、ベテランか、一目瞭然です。僕も、少し猫背気味なこともあり、背後から写真を撮られると、背中がぼっこりと膨らんだ自分の体型にガッカリしたりするのです。
そば屋の跡取り息子が、なぜ指揮者に?
ところで、そば屋の跡取り息子であった僕が、なぜ指揮者になろうと思ったのかといえば、理由の一つは、当時の厳しい受験戦争にありました。僕の中学生時代はベビーブームの影響で超受験難の時代でした。高校で受験を終えた直後、クタクタになった受験生を校門で待ち構えていた人たちが渡すビラは、「高校浪人のための予備校」でした。
僕は運良く希望の高校に入学しましたが、受験前の中学校では、それまで親しかった友人が、みんな敵になってしまうように思えるほど苦しい気持ちの中、当時、聴き始めたベートーヴェンや、シューベルトの音楽が心を癒やしてくれました。音楽を聴いていると、すべてを忘れて、それこそ心が栄養で満たされていくのです。大学までそのまま進学できる付属高校に入学したにもかかわらず、そんな音楽を自分でやってみたいと思ったのです。
とはいえ、音楽大学に入学するのは大変な勉強が必要です。僕の母親は慌てて、再度ピアノ教室に通わせてくれましたが、音楽大学に入学するには、音大受験専門の先生に習わなければなりません。それを知ったのは高校2年生の夏でした。ほぼ無理な状況で、新しく習い始めた専門の先生にも、「篠﨑くんは当然、一浪よ」と言われていました。
一方で、そば屋のチェーン会社を展開していた父親からは、「そんなこともクリアできないのなら、才能がない。落ちたら会社を継ぐように」と言われていたので、もの凄い板挟みでした。それでも、苦しいというよりも、専門の勉強をするのは楽しく、ピアノも聴音で苦労しつつ、「もう指揮者の修業が始まっている」と、わくわくしていました。
そんな「一浪確実」の僕が、なんとか現役で音楽大学に入学したものの、もちろん一番下からのスタートです。そんな僕でも、海外を含めて指揮者として活動できているのは、さまざまな幸運が重なったからとしか思えません。
その後、オーストリア・ウィーンに留学しましたが、指揮の勉強よりもドイツ語で苦労しました。僕には語学の才能がないのだと痛感しながら、その後、仕事を始めた英ロンドン、米ロサンゼルスでは英語、特に発音に苦労しました。結局、英語がまともに話せるようになったのは、ロサンゼルスからロンドンに戻ってきてからで、音楽よりも語学の苦労のほうが何十倍もありました。
特に、英語は発音が難しい。「First movement(第1楽章)から始めます」と初めて英語圏のオーケストラに言ったときには、みんなキョトンとしていました。日本語には“R”と“L”の発音の違いがないので日本人の多くが苦労しますが、“First”の中にある“R”が上手く発音できず、オーケストラには“Fast(速い)”と聞こえていたようで、「この交響曲の“速い楽章”といえば、第4楽章のことだろうか?」と思ってしまったそうです。
ちなみに、日本語には“sh”の発音もないため、“sit down(座ってください)”と言うべきところを、“shit down”と発音してしまい、相手が目を白黒とさせることがよくあります。ちなみに、“shit“とは“便”のことです。皆さんも相手に座ってほしいときには、“take a seat”を使うのが無難です。「便を下に」と誤解されるよりも、「椅子にお座りを」と言うほうが、社会立場的にも宜しいかと思います。
最終回にもかかわらず、変な話で終わりました。これも篠﨑の連載らしいとお許しください。連載はこれで終わりとなりますが、これからも時々形を変えてBusiness Journal上に僕の文章が出てくるかもしれませんので、読んでいただければ幸いです。
この「世界を渡り歩いた指揮者の目」がここまで続いたのは、サイゾー社長・揖斐憲さん、Business Journal編集部、特に僕の下手な文章を丁寧に訂正し続けてくださっただけでなく、畑違いである文章を書くことにくじけそうになったときには毎回励ましてくださった担当の宮下将美さん、そして何よりも、231回までご愛読いただいた読者の皆様のお陰です。深く感謝します。
最後になりますが、コンサートに来られたことが無い方でも、一度でいいので是非、生のオーケストラを聴いてみてください。新しい人生の喜びが開けるかもしれません。
ありがとうございました。
ここ(https://biz-journal.jp/category/series/cat285)で、すべての僕の連載を読んでいただくことができます。
(文=篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師)