ほぼすべてのチルド食品(冷蔵食品)が、社内のシステム更新作業に伴う障害により出荷停止となっている江崎グリコ。4月初めに障害が発生し、出荷再開時期がいまだに未定という異例の事態を受け、同社は今月8日、システム障害によって2024年12月期の営業利益が60億円、売上高が200億円下押しされる見通しだと発表した。業績に多大な悪影響が生じるため、グリコがシステム更新プロジェクトの主幹ベンダであるデロイト トーマツ コンサルティングに損害賠償を求めて法的手段を取る可能性も取り沙汰されている。今後の展開について業界関係者や専門家の見解を交えて追ってみたい。
グリコは業務システムについて、独SAPのクラウド型ERP「SAP S/4HANA」を使って構築した新システムへ切り替えるプロジェクトを推進してきた。旧システムからの切替を行っていた4月3日、障害が発生し、一部業務が停止。その後、一部商品の出荷が停止となり再開されたが、「プッチンプリン」「カフェオーレ」「アーモンド効果」をはじめとする大半のチルド食品は再び出荷停止に。さらにキリンビバレッジから販売を受託している果汁飲料「トロピカーナ」や野菜飲料の出荷も停止するなど、影響は他社にも拡大している。
「これまで生産・営業・会計など部門ごとで分かれていた古いシステムを統合型システムに置き換えるというもので、大がかりかつ難易度が高い作業であると考えられます。
新システムへの移行が1年以上延期されていたということなので、もともと作業がうまくいっていないなか、そろそろ大丈夫だろうということで4月に移行作業を行ったものの、想定外の事態が起きたということだろう。一般的にシステム開発においては切り替え・リリース前に何度もテストを実施して問題がないかを確認し、本番作業で発生しうるあらゆる問題を想定して対応プランを策定するが、本番作業がうまくいく前提でテストや障害時の対応プラン策定を適切に実施していなかった可能性も考えられます」(森井昌克氏/神戸大学大学院工学研究科 特命教授/5月4日付当サイト記事より)
当初、出荷再開について5月中旬としていたが、今月1日には出荷再開時期は未定だと発表。障害の原因特定は進んでいるが解消に時間がかかっているという。
「システム障害が原因で多くの商品が2カ月以上も出荷できないというケースは、あまり聞いたことがなく、異常な事態といっていい。通常、あらゆる障害発生を想定してコンティンジェンシープランを立てておくものだが、いったん旧システムに戻して業務は継続するといったプランなどをきちんと準備していなかったのか。あくまで報道を見る限りでの感想だが、部門ごとに乱立していた何十年も使われてきたシステムをパッケージソフトを使って一気に大規模なERPに統合するという計画自体、リスクが大きすぎて、ちょっと無理があったのでは。1年くらいの期間を設けて段階的に新システムへ移行していくという方法を取っていれば、今回のような障害は避けられた可能性がある」(大手SIerのSE/5月4日付当サイト記事より)
システム開発プロジェクトの内情
長期にわたる出荷停止により、グリコの業績は悪化する。同社は8日、24年12月期連結決算見通しについて、売上高は従来予想を150億円下回る3360億円(前期比1%増)に、純利益は従来予想を40億円下回る110億円(前期比22%減)に下方修正すると発表した。
損失はこれだけではない。4月22日付「日経クロステック」記事によれば、プロジェクトの当初の完了予定は22年12月であったが延期され1年以上の遅れとなり、投資額は当初の予定金額の1.6倍にも膨れ上がっているという。そのため、グリコが主幹ベンダのデロイトに対して、一連の損失について損害賠償を求めるのではないかという見方も出ている。
「システム更新の総投資額が340億円で、これが当初予定の1.6倍に膨れ上がった金額ということなので、その増加幅は100億円以上となる。加えて障害による減益分が60億円となると、トータルの損失額は計200億円近くになるとみられる。プロジェクトの遅延と障害の責任がグリコとデロイトのどちらにあるのか、またどちらの責任割合が大きいのかは分からないが、一般的に発注元と委託先ベンダのどちらかに100%の責任があるというケースは少なく、それゆえに双方が相手側に非があると主張して責任割合をめぐって揉めやすい。
日本企業同士であれば訴訟を回避したがる傾向があるため、協議して落としどころを探って“お互いに納得はしないけども、とりあえずベンダ側が損賠賠償として●円払うことで決着をつけましょう”となるケースもあるが、外資ベンダだと瑕疵を認めない傾向が強い。よって裁判に発展する可能性も高いと考えられるが、そうなると両者ともに多額の裁判費用が発生することになるので、“進むも地獄、退くも地獄”というIT業界的には最悪の事態にハマることになる」(大手SIerのSE)
別の大手SIerのプロジェクトマネージャー職はいう。
「語弊を恐れず言えば、発注元の企業は発注先のシステム開発会社を“下”に見る傾向があり、プロジェクトの途中で当初取り決めた仕様の変更を求めてきながら費用の増額は認めないということはザラにある。一方のベンダ側も進捗が遅れたりバグを多く出してしまったりと発注元に迷惑をかけることは多々あり、要はお互いに、ときに損を被りながらも“持ちつ持たれつ”でなんとかシステムのリリースに持っていくというのが実情。
だが、それでは済まないレベルの遅延や損失が生じると、訴訟に発展する。訴訟になると双方の担当者は過去の細かい一つひとつの事柄について当時の資料やエビデンスを探して、情報を整理して提出する羽目になり、まったく利益を生まない後ろ向きの雑務に膨大な時間を費やす。そのため、できるだけ発注元企業もベンダも訴訟を避けようとするが、外資系ベンダの場合は訴訟もいとわず非を認めない傾向があるため、グリコとデロイトも裁判という流れになるかもしれない。
外資系ベンダはプロジェクト推進の段階で将来的に訴訟に発展した場合を想定して抜け目なくさまざまな施策を取っているので、グリコは苦しい戦いを強いられるかもしれない」
裁判では「要件定義」が重視
過去には大規模システムの開発中止をめぐって発注元企業とベンダが訴訟に発展するケースもある。
野村ホールディングス(HD)と証券子会社・野村證券は10年、社内業務にパッケージソフトを導入するシステム開発業務を日本IBMに委託したが、作業が大幅に遅延したことから野村は開発を中止すると判断し、13年にIBMに契約解除を伝達。そして同年には野村がIBMを相手取り損害賠償を求めて提訴した一方、IBMも野村に未払い分の報酬が存在するとして約5億6000万円を請求する訴訟を起こし、控訴審判決で野村は約1億1000万円の支払いが命じられた。
テルモは物流管理システム刷新プロジェクトが中止となり、14年に委託先ベンダのアクセンチュアを相手取り38億円の損害賠償を求めて提訴。また、12年に基幹系システムの全面刷新を中止した特許庁は、開発委託先の東芝ソリューション(現・東芝デジタルソリューションズ)とアクセンチュアから開発費と利子あわせて約56億円の返納金の支払いを受けることで合意している。
もし仮にグリコがデロイトに対して損害賠償を求めて提訴した場合、どのような事実認定がされると、デロイトに対し損賠賠償命令が出されることになるのか。山岸純法律事務所代表の山岸純弁護士はいう。
「新規のシステムを入れ替えたら顧客サービスが停止した、物流システムがダウンしたなどといったニュースをよく聞きます。こういったシステム開発にトラブルが発生する原因について過去の裁判例をみると、
・契約後、最初に行う『要件定義(※)』がしっかりとされていない
・システム開発を依頼する当事者は大手だが、その背後に、二次請け、三次請け、四次請けなどがあり、これらの管理がしっかりできていない
・システム開発を依頼するほうが、途中で『やっぱりこれはやらない』『これを追加して』などと、要求や仕様を変更することによる混乱
などが挙げられています。
※要件定義:一般的に、システム開発の依頼者が何を必要としているのかをまとめて整理し、具体的な進め方を決めること
要するに、契約時には何を完成させるか決まっていない、開発中にもっと良いものをといった欲が出るのが大きな原因です。裁判では、『要件定義』が重視され、この『要件定義』通りにシステムが設計されていなければ開発業者に帰責性があると判断されます。もっとも、上記の通り、途中で要求や仕様が変更されることがあるわけで、裁判では『最終的に何を開発しようとしていたのか』『そのとおりに開発されたのか』が争われます。このため、要求や仕様の変更について一つひとつ『変更が合意されたのかどうか』『どう変更されたのか』を議事録などで明確にしておくことが大切です。
今回の場合も『要件定義』書や各種の議事録を振り返り、グリコ側の要求通りの開発が行われたのかどうか、しかもしっかりと記録として残っている要求であったのかどうかが議論されることでしょう。
なお、グリコ側が訴訟を提起したとして、その主張が認められた場合の損害額ですが、このようなビッグプロジェクトの場合、たいていの場合、
・こうなったらこうする
・こういう場合はこうする
といったことが事細かに決められております。おそらくシステムに障害が発生した場合の『損害額』についても予め、
・こういうことが起こった場合に、こういうことが認められる場合は、損害額は●●万円とする
と決められていることでしょう。具体的金額はケースバイケースですが、『損害額はシステム開発費用の総額を超えない』『逸失利益に関する損害は、●●%までとする』などと定められることがあります」
(文=Business Journal編集部、協力=山岸純弁護士/山岸純法律事務所代表)