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東京・自由が丘、なぜ廃れた?住宅地・商業地としても中途半端化の必然的理由

文=Business Journal編集部、協力=牧野知弘/オラガ総研代表取締役
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かつての自由が丘マリ・クレール通り(「Wikipedia」より)

 かつては東京を代表するオシャレタウンだった自由が丘が“いつの間にか終わってた”としてインターネット上で話題になっている。その根拠は、「駅前がゴチャゴチャして汚い」「店がチェーン店ばかりでオシャレじゃない」「以前は人気があったスイーツ店がガラガラ」「石畳がアスファルトに塗り固められている」などで、遠くからも人が集まった人気スポットが、すっかり寂れた普通の街になってしまったという。不動産開発の専門家も、自由が丘は商業的にも住宅地としても中途半端な街になってしまったと指摘する。

 インターネット上に、「自由が丘がいつのまにか終わってた」と書き込まれ、話題になっている。かつては流行の発信地ともてはやされ、オシャレなアパレルショップが立ち並び、目新しい料理やスイーツを生み出し続けた。連日、テレビ番組のロケも行われ、洗練された街並みやファッションに敏感な若者が映し出されることが常だった。そんな自由が丘が、“終わってた”とは、どういう意味か。

 自由が丘が廃れたと感じる根拠として、「駅前に広がる街並みがそんなにオシャレではない」ことを挙げる。「ロータリーも狭い、道も狭い(幹線道路でさえ歩道がほぼない)。昭和高度成長期の小さな雑居ビルとか木造モルタル店舗兼住宅の建物がグッチャグチャの貧相な商店街。駅の真ん前はそうではないけど少し歩くと頭上に電線がグチャグチャこんがらがっててまるでフィリピンのスラムっぽい」と、駅前の見栄えの悪さを指摘。

 続けて、「全国展開するチェーン店が多く、田舎と変わらない」という。また、かつては石畳の風情のあった小道がアスファルトに塗り固められ、雰囲気も壊れたとしている。極め付きは、開店当初は数時間待ちが当たり前だったスイーツのテーマパーク「スイーツフォレスト」が、今は閑散としているというのだ。2022年にリニューアルし、今は韓国スイーツが中心になっているものの、韓国好きの若者は新大久保に流れているのか、スイーツフォレストに集まる様子は見られないようだ。

なぜ自由が丘に人が集まらなくなっているのか

 実際に自由が丘には人が集まらなくなってきているのだろうか。また、不動産開発の業界では、自由が丘をどのように見ているのか。オラガ総研代表取締役の牧野知弘氏は、自由が丘の商業的価値は下がってきているという。

「自由が丘は背後に富裕層が暮らす、奥沢、九品仏など世田谷の高級住宅街が広がっており、住宅関係のデータは悪くないのですが、かつて自由が丘駅の近くにあったような商業店舗の人気は従来に比べて落ちてきています」(牧野氏)

 自由が丘の人気が落ちてきている理由は、どのようなことがあるのだろうか。

「これまでファッションを中心にブランド化していた代官山、自由が丘は高級住宅街に、渋谷はオフィス街と化し、商業の要素が弱まっています。それは東急東横線沿線の客層が大きく変わってきていることが関係しており、高齢化が大きな要因になっていると思います。

 そもそも東横線が交通利便性の高い路線かといえば、そうではなく、今は都市居住が進む中で、若くてお金に余裕のある方は豊洲などの都心に住むようになってきており、郊外から自由が丘などに買い物に来るという購買行動が薄れていると思います。

 もう一つは、若い人たちのファッションに関する感覚が変わってきており、ファストファッションでオシャレを十分に楽しんでいたり、ブランドに興味のある人でもECサイトで好きなものにアクセスできるようになっているので、ブランド店が立ち並ぶエリアに足を運んでショッピングをするという行動を取る人は減っているのではないでしょうか」(同)

 かつてはファッションに敏感な人たちが集まってきていたが、今はわざわざ足を伸ばして買い物に来る人が減ったことが大きな要因というわけだ。

「東横線が東京メトロとの直通運転を開始したことで、高級な買い物をしたい人は新宿三丁目の伊勢丹まで出かけるという流れもできています。もっとも典型的なのは代官山で、急行も特急も停まらず、渋谷の再開発の煽りを受けて人の流れもなくなっています。自由が丘は急行・特急は停まりますが、商業的立ち位置としては中途半端になってしまいました。

 またこれまで自由が丘を支持していた層の高齢化や価値観の変化によって、展開しているブランドショップ側から見ても、流行の違いや若い方々の購買行動とのズレが、とりわけ東横線沿線では顕著に出ており、時代に取り残され気味といえるのかもしれません」(同)

かつて人気の高かった街の変遷

 東急グループといえば、駅ごと、町ごとの開発に注力することが知られているが、現在は自由が丘に力点を置いていないということか。

「一概にはいえませんが、東急沿線は古い街が多く、再開発ができる素地が多くありません。自由が丘に関しても、仮に新たに作り変えようと考えても、時間も費用も莫大にかかるのは間違いありません」(同)

 先般、リクルートが発表した「住み続けたい街ランキング」で自由が丘は45位と、決して高くない。かつては「住みたい街」の上位に名を連ねていたが、実際に住んでみると、あまり住みやすくないといった側面があるのだろうか。

「昨今の都心居住志向の高まりから考えると、オフィスなどに近いともいえず、自由が丘は“半端な距離”といえるのかもしれません。かつての人気で土地代が高くなりすぎ、郊外のように広い居住空間を構えることも容易ではないので、半端な場所になってしまった感がいなめず、そのあたりが嫌われているように思えます」(同)

 バブル期以降、平成の時代まで自由が丘は若者が多く集まり、常ににぎわっていた。それが今や人が集まる街ではなくなりつつある。今後、自由が丘はどのような街になっていくのだろうか。

(文=Business Journal編集部、協力=牧野知弘/オラガ総研代表取締役)

牧野知弘/オラガ総研代表取締役

牧野知弘/オラガ総研代表取締役

オラガ総研代表取締役。金融・経営コンサルティング、不動産運用から証券化まで、幅広いキャリアを持つ。 また、三井ガーデンホテルにおいてホテルの企画・運営にも関わり、経営改善、リノベーション事業、コスト削減等を実践。ホテル事業を不動産運用の一環と位置付け、「不動産の中で最も運用の難しい事業のひとつ」であるホテル事業を、その根本から見直し、複眼的視点でクライアントの悩みに応える。
オラガ総研株式会社

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