1992年の開業以来、18年間にわたり営業赤字を垂れ流していたハウステンボスは10年、再建のため大手旅行代理店のエイチ・アイ・エス傘下に入り、澤田秀雄氏が社長に就任。澤田氏はたった1年で営業黒字に転換させ、以降13年9月期まで4期連続で増収増益を確保。14年9月期も5期連続の増収増益を見込むなど、今や東京ディズニーリゾートと並ぶ人気リゾート施設に再生させた澤田社長の経営手腕は「澤田マジック」と呼ばれている。
今回、改めてその再建の深層を取材したところ、決して「マジック」ではなく、潜在的に優良だった事業資産を継承した僥倖と、それを巧みに生かした澤田社長の手腕が見えてきた。再建引き受け決定前に行った入念なデューデリジェンス(買収先の価値評価)に基づく用意周到な再建シナリオ、したたかな交渉力、論理的な集客策などだ。
●迷走した再建
ハウステンボスが経営破綻により会社更生法適用を申請したのは03年2月のこと。負債総額は約2289億円。九州では「シーガイア」を運営していた宮崎県のフェニックスリゾート(負債総額約3261億円)に次ぐ2番目の大型倒産だった。その後、米投資会社のリップルウッド・ホールディングス、東京ディズニーリゾート運営のオリエンタルランドなど約20社が支援に名乗りを上げたが、最終的に野村ホールディングスのベンチャーキャピタル、野村プリンシパル・ファイナンス(以下、野村PF)が支援企業に決定、翌04年3月から同社の下でハウステンボス再建が始まった。
しかし、リゾート施設経営の基本といわれるリピータ確保策が当時の経営陣の念頭になかったのか、再建策として新規海外客誘致強化を打ち出し、外国人向けの各種娯楽設備やレストランを新設。以降、07年度までの3年間、入場者数、宿泊者数、売上高のいずれも徐々に伸ばし、単年度営業黒字まであと一歩に迫り、再建は一見順調に進んでいるかに見えた。ちなみに、05年度の入場者数は195万人、売上高は157億円、営業赤字は35億円だったのが、07年度の入場者数は219万人、売上高は184億円、営業赤字は18億円に改善していた(いよぎん地域経済研究センター調査による)。
ところが、この売上高は「200億円前後」と見られていた当時の損益分岐点に届かず、実際は累積赤字が膨らみ続けていた。この「粉飾的再建」を露呈させたのがリーマンショックだった。この影響により国内客と共に韓国人を中心に入場者数の約20%を占めていた海外誘致客が激減。08年度の入場者数は187万人、売上高は154億円へ一気に落ち込んだ。
同社はこの落ち込みをカバーするため、園内ホテルの休館、外国人向け娯楽設備の休止、レストラン・売店の統廃合、人員削減などのリストラに走ったが、経営悪化を加速させただけだった。
この間、支援企業の野村PFも支援契約の出資金110億円に加え、05年度以降の追加出資金140億円を合わせ、計250億円(09年3月時点)の出血を強いられていた。同社にとってハウステンボスは、当て外れのとんでもない金食い虫となった。