また、パティシエだけでなく、消費者にとってもスイーツは身近なものとなった。2013年度の日本国内における和洋菓子・デザート市場は2兆1096億円。ここ数年の不況や震災で娯楽や嗜好品の需要が伸び悩む中、スイーツの売り上げは変わらず高水準を保っており、日本人がいかにスイーツ好きなのかがわかる。
さらに、国内だけにとどまらず「堂島ロール」(モンシェール)などの洋菓子から「トッポ」(ロッテ)、「じゃがビー」(カルビー)といったスナックまで、日本製菓子の海外進出ラッシュも起きている。
かつて、贅沢品として海を渡ってきた洋菓子だが、今や日本の菓子製作技術は世界のトップレベルまで登りつめ、逆に海外に発信されるようになった。気がつけば日本は世界屈指の「スイーツ大国」となっていたのだ。
●日本の洋菓子界を築いた巨匠たち
日本のスイーツ業界がここまで成長したのは、パティシエたちの活躍も大きい。「スーパースイーツ製菓専門学校」製菓講師の市田哲朗氏は日本の洋菓子のレベルが上がった背景について、こう説明する。
「1960年代後半、砂糖の輸入自由化などに伴い、菓子への関心が高まりました。パティシエたちが海外での活躍を求めるようになったのも、そのぐらいの時期からです。それまで『日本人がつくる洋菓子なんて……』と思われていたのを、世界に認めさせた彼らの功績は非常に大きいと思います」
中でも、東京・世田谷区の洋菓子店「オーボンヴュータン」のオーナーシェフ・河田勝彦氏は、フランス菓子の第一人者であり、日本の洋菓子界の礎を築いた人物としても有名だ。67年に日本を離れ、9年間フランスで過ごした河田氏。差別や言葉の壁にぶつかりながらも奮闘する彼の元には、日本人パティシエが集うようになった。東京都洋菓子協会会長の大山栄蔵氏、東京都・港区のスフレ専門店「ル・スフレ」のシェフ永井春男氏など、河田氏とともにフランスで過ごした人々は、日本のスイーツ界を代表するパティシエとなっている。さらに、河田氏が帰国後に開店した「オーボンヴュータン」で修行をした人は200人を超え、数々のコンクールで優勝しスイーツ界の巨匠となった辻口博啓氏も彼の弟子だった。
「最初に日本を出た人たちで、帰国後に自分のお店を開いた人は多い。おかげで、日本人も質の高いスイーツに触れるチャンスが増え、それを食べた若者たちが世界で活躍するようになりました」(市田氏)
総合人事・人材サービスを展開するアデコ株式会社が今年行ったアンケート調査では、小学生の就きたい職業1位は、なんと医者でもなく野球選手でもなくパティシエだった。スイーツは人々を魅了する力があるが、それをつくるパティシエは今や憧れの職業となっているのだ。