今回の事件で世間を驚かせたのは、ベネッセHDが国民の6人に1人をカバーするほどの巨大な情報を集めていたことだ。累計で1億件に上る情報が流出していたことが明るみになったが、情報管理を厳しくしても完全に防ぐのは難しい。一般的に企業における顧客情報管理においては、情報が流出しても被害を最少に食い止められるように二重三重の対策が取られるが、今回の事件で容疑者はスマートフォン(スマホ)を使って1億件の個人情報を容易に手に入れていた。
福武元会長が築いた一大教育コンツェルン
こうした情報セキュリティに対して甘い体制は、ベネッセHDの“中興の祖”と呼ばれる福武總一郎・現最高顧問が社長、会長として経営の舵取りを担っていた時期につくられた。福武氏は1945年12月、ベネッセHDの前身である福武書店の創業者、福武哲彦氏の長男として岡山市に生まれた。早稲田大学理工学部卒業後、日製産業、日本生産性本部勤務を経て73年、福武書店に入社。父の急死で86年に社長に就任した。
總一郎氏は小中高校向け通信添削講座「進研ゼミ」に経営の軸足を移し大成功。95年には社名をベネッセコーポレーションに変更、大証2部(2000年に東証1部)に上場した。ベネッセは、ラテン語の「よく生きる」という意味に由来する。
今や「教育のベネッセ」として幼児教育から小・中・高校の受験教育、社会人の英語の資格の取得まで手掛け、一大教育コンツェルンを築き上げた。しかし、ワンマン経営の弊害が強くなり業績が悪化したことを理由に03年6月、経営の第一線を退き、ソニー出身の森本昌義氏を社長に招いた。その後、森本氏は自身の女性問題で07年2月に辞任に追い込まれた。そのため、總一郎氏は会長兼社長に復帰した。
09年、持ち株体制へ移行し、總一郎氏はベネッセHDの会長に就き、社長に生え抜きの福島保氏を起用したものの、業績停滞を打破できなかった。そこで今年、アップルコンピュータ、日本マクドナルドで辣腕を振るってきた原田泳幸氏を社長兼会長に招いた。總一郎氏は6月の株主総会で会長を退任し、最高顧問の肩書は残ったが、経営からは手を引いた。
節税のため海外移住
總一郎氏は実業家のほかに、芸術・文化推進の功労者という、もう一つの顔を持つ。04年、個人資産を寄贈して福武財団を設立し、瀬戸内に浮かぶ直島に美術館をつくり、直島は現代アートの聖地として国内外から高く評価された。文化・芸術活動を行う福武財団は養子の英明氏に引き継がせ、09年には居住地をニュージーランドに移した。日本の相続税・贈与税の最高税率は50%だが、ニュージーランドは無税。資産管理会社、イー・エフ・ユーインベストメントはオークランドに本社を置いた。
ベネッセHDの14年3月末の筆頭株主は日本マスタートラスト信託銀行で15.44%を保有する。有価証券報告書の脚注によると、このうちの13.29%は總一郎氏とれい子夫人が全額出資する資産管理会社イー・エフ・ユーインベストメントが信託財産として拠出したものだ。福武財団は4.88%の株式を持つ。親族の持ち株を合わせるとベネッセHD 株の27.93%を保有する、圧倒的な大株主だ。總一郎氏は自分が亡くなっても相続税を払わなくて済むように海外に移住し、ベネッセの配当金で文化・芸術活動を続けていける仕組みをつくったわけだ。
ベネッセは顧客情報流出事件で、巨額の損失と顧客流出に伴う未曾有の危機に立たされている。流出事件が起きた時の実質的な経営トップだった總一郎氏の責任を問う声が、今後、広がる可能性もある。
(文=編集部)