シャープ、ホンハイとの出資交渉迷走の背景にある「傀儡経営」
そもそもシャープは、こんな会社ではなかったはずだ。社員が仕事を面白がりながら、ものづくりに励んでいた会社だと思う。ソニーやパナソニックに比べてブランドイメージは決して一流ではないが、そこには独特のしぶとさや抜け目のなさのようなものがあったように感じる。かつて流れたテレビコマーシャルの「目の付けどころが、シャープでしょ。」は、それらを包含して象徴している。
今では誰もが持っているデジタルカメラ付き携帯電話は、シャープが胸を張れるヒット商品であろう。シャープが初めて商品化したものだ。「電子の目」と言われる自社製の電子部品「CMOS」を、携帯電話と組み合わせることができないかと考えたのが、商品開発のきっかけだった。シャープにとってみれば、携帯電話に使う小型液晶と「CMOS」の両方が売れる利点があったからだ。デジカメ付き携帯電話は、マーケティングの結果生まれたものではなく、技術オリエンテッドな商品であり、技術者が面白がりながら、開発やものづくりに没頭していたから生まれた商品なのだ。
『創造的発見と偶然―科学におけるセレンディピティー』(東京化学同人/G・シャピロ)という本がある。「マジックテープ、ペニシリン、X線、テフロン、ダイナマイトの発見や発明に共通しているものは、セレンディピティーである」と冒頭に紹介されている。
同書によると、天然痘ワクチンを発見したジェンナーは、牛の乳しぼりをしている人は天然痘にかからないことに気づき、「牛痘」をワクチンとして使った。これもセレンディピティーであるという。
すべてが偶然でうまくいくとは限らないし、発明と実業では違うという見方もある。しかし、自分で確固たる哲学を持ち、かつ、面白がりながら研究や仕事に注力していれば、いつか花開くということではないだろうか。フランスの細菌学者、パスツールも「幸福は待ち受ける心構え次第である」と言っている。
しかし、シャープからは面白がって仕事をする風土が消えた。かつて筆者は朝日新聞記者時代、シャープのエンジニアが「スピーカーがなくても音が出る液晶を開発しました」と言って生き生きと喜んでいる姿を目の当たりにしたことがあるが、その元気な面影は消え失せた。無能な経営陣とそれにお追従するヒラメ社員が、社内調整を優先させ、社内の評価ばかりを気にする会社にしてしまった。労組出身の労働貴族も跋扈する。
そして外部の意見に耳を塞ぎ、社内言論の自由もなくなろうとしている。この結果、危機の今でも現状に安住して事なかれ主義に陥り、一丸となって困難に立ち向かっていく風土が消滅しようとしている。
創業100年の今年、こんな事態になって、創業者・早川徳次はきっと草葉の陰で泣いていることだろう。
(文=井上久男/ジャーナリスト)
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醜い男の嫉妬と内部崩壊が招いたシャープの経営危機