香港デモで露呈した中国の“本性” 失墜したアジアの国際金融都市、香港集中から分散へ
香港で2017年に実施される次期行政長官の選挙制度が民主的でないとして始まったデモで、民主派デモ隊の学生リーダーらが1日、ハンガーストライキを開始。前日にデモ隊と当局は激しく衝突しており、緊張が高まっている。
その一方で、11月末現在で200名近くの逮捕者を出し、香港大学が実施したデモに関する一般人への調査では約8割が「占拠をやめるべきだ」と回答しており、道路占拠やデモへの参加者は急激に減っている。当局による強制排除が実施されデモは収束に向かうとの見方も強い。
今回のデモは、次期香港行政長官選挙への立候補について以下の新しい制限が設けられたことに端を発した。
「候補者は1200人の指名委員会で過半数の支持を得た者から2~3名に絞る」
「指名委員会は政界、工商・金融界、専門業界、労働・宗教界の4大分野から選出する」
つまり、反中国政府的な人物は事実上立候補できない。立候補者は事実上政府が選ぶということだ。この発表を受け、民主的な選挙に変更するよう訴える若者や市民が蜂起し、民主化デモが政治・経済の中心である金鐘(アドミラルティ)や商業地区の銅鑼湾(コーズウェイベイ)、九龍半島中部の繁華街・旺角(モンコック)を埋め尽くした。
一連の経過より、筆者は「いよいよ中国が香港統括について本性をむき出しにしてきた」とみている。筆者は1970年代から香港に関する著書や論文を発表し、日本華僑華人学会が創立されたときは発起人として名を連ね数年間役員も務めてきた。1992年から4年間は香港上場企業の日本法人で社長を務め、渡港歴は数十回に及ぶ。
香港が英国から中国に返還された97年、返還式典で初代行政長官の董建華(トン・クンファー)氏と接触したが、当時中国は公式見解として「少なくとも50年間は1国2制度として、香港の現行のやり方を許容維持する」としていた。これが説得力を持って世界に受け止められたのは、中国が香港の次に併合を狙っている台湾に対して不安感を与えないためだとされていた。
しかし筆者は当時、現地の空気から「そんなことはないだろう」と感じていた。1国2制度という「衣」の下には、拡大主義の中華思想という「鎧」が見えていたのだ。
●アジアの国際ビジネス・センター、分散の時代へ
路上占拠の強制排除が行われれば、「東洋の真珠」が失う輝きは大きい。香港が享受し国際資本を引きつけてきた自由経済・自由統治が実は「蟷螂の斧」のように危ういモノ、少なくとも中国の思惑三寸によるものだということが世界中に示されてしまった。