押味氏はビル建築部門出身。入社直後に配属された横浜支店の勤務が長く、横浜支店長を務めるなど首都圏の顧客とのつながりが強い。2020年の東京五輪開催を控え、首都圏の建築需要の取り込みが最重要課題になることから、白羽の矢が立った。今回の人事は、かなり異例と受け止められている。押味氏は取締役でも副社長でもなく、年齢は66歳。60歳前後という社長適齢期を超えており、若返りにもなっていない。
押味氏の社長就任で、創業一族以外のトップが4代続く。鹿島の首脳人事の季節になると、毎年のように取り沙汰されながら実現しなかったのが、創業家への大政奉還だ。今年は、1990年に社長を退任した鹿島昭一相談役以来25年ぶりに創業家出身者が選ばれるかどうかが注目されていた。候補者には、事務方トップの渥美直紀・代表取締役副社長執行役員、営業担当の石川洋・取締役専務執行役員の名が挙がっていた。両氏とも創業家一族で、中村氏は「創業家出身かどうかではなく、時代に即した人物が社長を務めるということだ」としている。
ゼネコン業界では、今回のトップ人事は創業家の内部事情が影響しているとみられている。鹿島家は女系家族で、代々東京大学出身のエリート官僚を婿に迎え入れてきた。戦後、中興の祖と呼ばれる鹿島守之助氏は外交官出身。その娘婿で6代目社長の渥美健夫氏は通産官僚、7代目社長で日本商工会議所会頭を務めた石川六郎氏は旧国鉄出身の運輸官僚。今回候補に名前が挙がっていた渥美直紀氏は健夫氏、石川洋氏は六郎氏の長男だ。
だが、鹿島家は本家と分家が一枚岩ではない。亀裂が表面化したのは05年の社長人事だった。大本命とされたのが、当時副社長だった直紀氏。夫人は中曽根康弘元首相の二女で、鹿島家と政界を結ぶ閨閥づくりの一環だった。六郎氏は直紀氏への社長継承を迫ったが、本家の鹿島昭一相談役の反対で大逆転。非同族の中村満義専務(当時)が社長に昇格し、現在に至っている。
首脳人事の決定権者は、鹿島のドンと呼ばれる昭一相談役。分家に社長の座を渡すつもりはなさそうだとの雰囲気が強まり、「次期社長もプロパーを起用する」(鹿島幹部)との見方が急浮上していた。押味氏は下馬評にも上がっていなかったが、結局プロパーの起用で決着した。