スカイマーク破綻を招いた下手なモノマネ&広報、LCCで唯一ピーチ好調の戦略的理由
オーリアリーCEOについては、12年には立ち席をつくる計画もしたが、規制に反するとの指摘を受けてあきらめたといった報道もあった。このようなニュースがメディアに登場すればするほど、ライアンエアーはコスト削減に貪欲な会社→それだけ料金が安いという事前期待ができあがり、敷居が下がる。そして実際に乗ってみると、思っていたよりは乗り心地もサービスも悪くなかったと高評価を得られることになるのだ。
ピーチが就航前に関西国際空港で開いた運賃発表会では、「大阪-札幌4780円」「機内サービス有料」という手書きのボードが使われ、いかにコストをかけないように準備したかを印象づける記者会見になった。事務所の備品をネットオークションで購入したことや、1円単位のコスト削減策が話題になり、メディアで紹介された。これも事前期待をつくるためのPR活動として効果的だった。
スカイマークの矛盾
その点、スカイマークの顧客戦略、コミュニケーション戦略は矛盾していた。14年に、仏エアバスA330型機を導入したときには、超ミニスカートの女性客室乗務員がA330の機体の前で写真に納まった。A330が飛ぶ路線において半年間限定でミニスカの制服が採用されるとしていた。ところが、A330導入よりミニスカートに話題が集まってしまい、保安上や業務上の問題、またセクハラの危険などを指摘する声があふれた。それに対して、当時の社長だった西久保愼一氏は、「キャンペーン服として用意したものが、あまりに評判が沸き立ち、こちらも困惑している。かなり歪んだ解釈をされているのは非常に残念だ」と答えている。
ここで思い出してほしいのだが、12年に物議を醸した「スカイマーク・サービスコンセプト」には「客室乗務員は保安要員として搭乗勤務に就いており接客は補助的なものと位置付けております」とはっきり書いてあった。ミニスカートの乗務員が緊急時に主要職務とされる保安業務をどう果たすのだろうか。まずジャージーに着替えてから対処するとでも言うのだろうか。
確かに、サウスウエスト航空も、最初はホットパンツとゴーゴーブーツを履いた女性乗務員で有名になった。地方の小さな格安航空が営業を開始してもメディアは取り上げてくれないため、ホットパンツとゴーゴーブーツで名を馳せた。しかし、それはあくまで70年代のことだ。当時はミニスカート全盛時代で、ホットパンツもゴーゴーブーツも乗務員の制服としては異色だったためニュースになったが、当時の流行のファッションだった(ちなみにホットパンツは71~72年に日本でも流行している)。また、セクシーな制服は、「Love Airline」として「Love」をウリにしていたサウスウエスト航空の企業テーマにも合っていた。
そういった歴史を考えると、スカイマークの14年のミニスカートは時代錯誤としかいいようがない。それ以前に、サウスウエスト航空が有名になったひとつの要因だけを取り上げ、ほかの要因や背景と関係なしにマネする行為は、マイケル・ポーターが言うところの「下手な模倣」だ。
(文=ルディー和子/マーケティング評論家、立命館大学教授)