大企業OBは、なぜ「第2の人生」で失敗するのか?アラ探しばかり、「わからない」と言えない…
「あのさあ、中沢。人間、誰しも完璧なわけないだろ? お前だってそうだろ? 悪いところ見たって、お互いにいろいろあるんだから、憎しみしか生まれないよ。良いところ見なきゃ。夫婦と一緒」
ぼやいていたところで、一緒に仕事をするメンバーがある日突然変わるものでもありません。野球やサッカーなど団体スポーツのように、チームとはそれぞれの個人が役割に応じてがんばって連携することが大切なのであって、社員一人ひとりが全部のポジションを完璧にやることを期待しても無理な話です。それどころか、自分自身がそこまで完璧な人間なのか、傲慢なんじゃないのか、ということをその先輩から教えられました。実際に彼はスポーツをやっていた人であったこともあり、企業組織や仕事上の取引においても十分に相通ずることであるので身に染みました。
●NG2:「わからない」が言えず、対話のスタートラインに立てない
言わずもがなですが、他人同士が目と目で通じ合うことができるのは、同じ組織や集団で長い時間過ごしていたって難しいことです。これが、違う組織で長年過ごしてきた人同士であった場合には、目と目で通じ合うどころか、何度も同じ会話を繰り返したところでわかり合えないのがごく普通のことです。
それでも粘り強く、いろんな情報を追加的に集めたり、言い方を変えたり、他の人の協力を仰いだりして、考えていることをしつこいくらい伝えなければなりませんが、それがなかなかできません。ましてや高齢になってくるとなおさらです。
さらには、大企業OBは、継続的な対話にはちょっとした怖さを抱いているようにも思えます。自分に何かわからないことがあった場合、例えば前回連載記事で触れた「まず仕組みからつくっていかないと中小企業ではうまくいかない」という課題に遭遇した時に、何から始めたらいいかわからない状態にあったとします。対象が何であれ、大企業OBは「わからないことがある」ということを他人に知られるのが怖いと捉えてしまいます。素直に「まあ、具体的にどうすればいいか、一緒に考えていきましょうか」と言うことは、プライドが許さないのです。うまく自己を否定できない心理が邪魔をします。
そういう人は、実は前職の大企業で成し遂げてきたことは、それまで会社に蓄積されていたものやチームの力が大きかったのであって、自分個人による影響は小さかったということに、少し自分でも気づいています。良い企業でも悪い企業でも、組織に属している以上は、組織の力に助けられて個人は成果を出せます。特異的に優秀な人でもなければ、組織を辞めた翌年から年賀状が一通も来なくなることなんてごく一般的なのですが、その現実を直視したくなかったりもします。