ひまわり生命は熊野御堂厚社長が退任し、グループの中核損保会社である損保ジャパン日本興亜の高橋薫副社長が4月に社長へ就任する。新興生保の人事だけに生保業界を揺るがすインパクトはないが、損保ジャパン日本興亜グループの人事ととらえると、持つ意味は大きく変わってくる。
損保ジャパングループ社員は語る。
「熊野御堂さんは今年4月でまだ就任2年であり、63歳のため、退任する年齢ではない。社内では、旧損保ジャパンが旧日本興亜を本格的に追い出しにかかったとみられています」
損保ジャパンと日本興亜損保は2010年に持ち株会社を発足させ、14年9月に合併へ踏み切り、損保の事業会社単独としては国内最大の規模になった。合併前は持ち株会社の旧名称「NKSJホールディングス」で日本興亜を指す「NK」を損保ジャパンの「SJ」より前に置いたり、合併新会社の新社長の椅子を旧日本興亜の二宮雅也社長に譲ったりと、損保ジャパンが日本興亜に大幅譲歩していた。
前出社員は、その背景をこう説明する。
「売上高に相当する収入保険料は旧損保ジャパンが1兆4000億円を超えるものの、旧日本興亜は、その半分にも届かない。会社の規模からすれば、旧損保ジャパン出身者が社長に就くはず。ここまで旧損保ジャパンがおもねったのは、合併交渉を絶対に失敗できなかったから。損保大手とはいえ万年3位の損保ジャパンとしては、東京海上日動火災保険、三井住友海上火災保険を逆転するためには是が非でも合併にこぎ着ける必要があった」
旧日本興亜の「追い出し」
実際、合併を見通せてから旧損保ジャパン側は手のひらを返す。新会社発足を見据えて14年4月に管理職を一本化したが、実質降格したのは日本興亜出身の社員が大半。今回、「日本興亜の営業のエース」といわれてきた熊野社長が放逐されたことで、旧日本興亜の「追い出し」が加速するのは間違いないとみられている。
すでに社内では、来年の二宮社長交代は決定的と目されている。櫻田謙悟会長は留任して、旧損保ジャパン出身者を社長に引き上げ、2トップ体制を確立する狙いだ。こうした状況を危惧し、明るい未来は望めないと判断したのか、合併前に実施した早期退職には旧日本興亜社員が殺到。もはや「損保ジャパン日本興亜」とは名ばかりとなってきた。「このままでは早晩、社名からも日本興亜の文字が消える」(前出社員)との懸念が現実味を帯びてきた。
(文=黒羽米雄/金融ジャーナリスト)