すなわち、目の前にいる客の健康と生命を預かる外食産業は、かつてないほど「しんどい」時代に入ってしまった。日本のマクドナルド、そして米国本社にとって最も頭の痛い問題は、「屋台骨がマクドナルドしかない」という現実ではないか。もともと飲食店はたった一回の食中毒で倒産してしまう、きわめてリスクの高いビジネスなのだ。筆者の実家は飲食業を営んでいたので、その恐ろしさは幼心に身に染みたものである。
マクドナルドが結果として犯してしまった最大の過ちはおそらく、利益が出ているうちに「次のビジネス」を育成できなかったことにある。同じ「マック」のアップルはまずデスクトップコンピュータでブレイクし、稼ぎ頭を音楽(iPod)、通信機器(iPhone)とシフトさせながら今日の王国を築いた。これはできすぎた成功例ともいえるが、本来的にハイリスクを抱えた外食企業としてはそのヘッジとして、せめて同じ外食マーケットにおいてでも、マクドナルドが傾いたときに頼るべき柱を育てておくべきだったと考える。
例えば1990年代前半のすかいらーくグループは、すからーくのほかにジョナサン、藍屋、夢庵、バーミヤンなどを擁し、さらにガストを開発するなどして、巧まずしてリスクヘッジが行われていた。逆に同社によって08年から果敢に進められたガストへの極端な傾斜という方策は、この意味で危ういものであった。
●じっと耐えるほかない時期
では、マクドナルドは消えてしまうのか。
筆者は必ずしも悲観論者ではない。「食」は健康と生命に関わるものだけに、客は店舗や商品に対して本能的に「安心感」を求めるがゆえ、「知名度の高さ」や「利用経験の多さ」は圧倒的な差別的優位性につながる。そして食に関する事件や不祥事を、消費者は驚くほど短期間で忘れてしまう。例えば今、雪印や不二家の商品を買うのに安心・安全面の不安で二の足を踏む客が、どれほどいるだろうか。
マクドナルドが「自爆」する可能性を挙げれば、健康志向や高級志向、日本的嗜好への志向などといった「新たなニーズ」に過剰反応してしまうことだと考える。そういうニーズには他の企業がより上手に応えていくであろうし、応えようとすればマクドナルドは客が慣れ親しんでいる「マックの味」というコアコンピタンス(企業の核となる事業・強み)を失いかねない。
身もふたもない結論だが、マクドナルドは今、「ただじっと耐えるほかない時期」だと思われる。そうすれば、いつか消費者は慣れ親しんだ味に帰ってくるかもしれない。
しかし繰り返しにはなるが、この風雪の時期、頼るべき柱がほかにあと一つでもあれば、どれほど楽だっただろう。歴史に「IF」はないのだけれど。
(文=横川潤/文教大学准教授、食評論家)