池井戸潤の小説シリーズを原作とする人気テレビドラマ『半沢直樹』(TBS系/2013年放送)に登場する黒崎検査官のモデルといわれる、金融庁の統括検査官だった目黒謙一氏が12月2日、亡くなった。72歳。「伝説の検査官」と呼ばれた。目黒氏は1966年、高卒で旧大蔵省に入省。ノンキャリアのエースとして、金融機関の検査を担当。辣腕を振るった。2003~04年のUFJ銀行に対する検査で不良債権の引き当て不足を指摘。三菱UFJフィナンシャル・グループへの再編につながったといわれている。
その後、検査監理官として大手銀行すべてを担当。背中で後進を指導。2007年に退官した。拙著『銀行消滅』(上、講談社+α文庫)で在りし日の目黒氏を活写している。以下にその一部を抜粋する。
内部告発
「14階に隠された資料がある。調べてください」。はじまりは、1本の匿名電話による内部告発だった。2003年10月9日の朝、東京・大手町のUFJ銀行東京本部で特別検査にあたっていた金融庁のチームに、マル秘資料を隠匿してある部屋のルームナンバーを伝える電話が入った。
検査官12人の指揮を執るのは金融庁検査局第四部門の目黒謙一・統括検査官。目黒検査官が、告げられたルームナンバーの部屋に入ると、段ボール箱がうずたかく積まれていた。数にして100箱余。目黒が段ボール箱の一つから書類を取り出すと、かたわらにいたUFJの行員が、慌てて、その書類を取り上げて破ろうとした。行員は「これはまったく関係ない資料です」と必死に抗弁した。
UFJ銀行の二重帳簿が発覚した瞬間である。2002年9月30日、小泉純一郎改造内閣の閣僚名簿の発表をテレビで見ていた前・金融相の柳沢伯夫は「金融担当相、竹中平蔵」とのアナウンスに「これは仰天人事だ」と叫んだ。「これ以上の公的資金の注入は必要ない」と言い続けていた柳沢が更迭され、柳沢と鋭く対立し、不良債権処理の加速を主張してきた竹中が金融相に任命されたのだから、金融界にとってもまさに仰天人事だった。
金融相に就任した竹中は同年10月30日に『金融再生プログラム─主要行の不良債権問題解決を通じた経済再生』を発表した。貸出金の引き当て強化と税効果会計の見直しによる自己資本算定の厳格化を柱とする「竹中プラン」である。大手行に対して、2005年3月末までに不良債権比率を半減させるよう要求した。ここから不良債権処理の荒療治がはじまった。全国銀行協会会長だったUFJ銀行頭取の寺西正司は「銀行はルールの中で経営されている。サッカーをしていたのに、突然、アメリカンフットボール(のルール)だといわれても困る」と反発した。根本的なルール変更に経営陣がどう対処したか。これが、その後の大手行の命運を分けた。
当時、国有化候補の筆頭と目されていたのが、みずほフィナンシャルグループだった。2003年3月に3000社を超える取引先に出資を要請、1兆円増資という奇策に打って出て、危機を強行突破した。りそなホールディングスは、監査法人に繰り延べ税金資産を自己資本に組み入れることを厳格にチェックされたために自己資本比率が急激に低下。同年5月に公的資金の受け入れ、実質国有化に追い込まれた。次の標的はUFJ─。
竹中金融相という後ろ盾
2003年7月に、厳しい検査姿勢で知られる目黒謙一検査官が金融庁の検査局検査監理官に就任した。このポストは、現場の検査官の取りまとめ役。厳格な検査を求める竹中金融相の意向を反映した人事と囁かれた。
目黒謙一は高校を卒業後の1966年に大蔵省(当時)に入省して以来、もっぱら検査畑を歩き、1998年に発足した金融監督庁(現・金融庁)に移った後も一貫して金融機関の検査に携わってきた。メガバンクの検査を担当するようになってからは、三菱東京フィナンシャル・グループ(FG、当時)、みずほフィナンシャルグループの金融庁検査で辣腕を振るい、鬼検査官として各行の役員・担当者を震え上がらせた。
「目黒検査官は、食事はもちろん、お茶もティーバッグとポットを持参して、銀行からの供応はいっさい受けません。資料を抱えて検査官の部屋に何日でも閉じこもる。そして、担当者を呼び出して債務者区分の引き下げを通告する」(メガバンクの関係者)。金融庁内には「検査官の独走」を懸念する声があったものの、目黒が豪腕を振るえたのは、大手行の資産を厳格査定し、不良債権を半減させたいと考えていた竹中平蔵金融相の『金融再生プログラム』の有形無形の後押しがあったからだ。目黒を竹中の意思を体現する“切り込み隊長”とみる向きが多かった。一介の検査監理官である目黒の人事が、これほど関心を呼んだのは、こうした背景があったからだ。UFJに乗り込み、検査の陣頭指揮をとったのが、目黒謙一だった。
2003年8月28日、UFJの運命を決定づけることになった金融庁の通常検査が始まった。10月7日から、通常検査と並行し、大口融資に絞った特別検査を実施した。特別検査は不良債権問題の最終決着を目指す金融当局と銀行の関ヶ原の戦いだった。「海外はやめて、地方銀行になればいい」。攻防の発端は、UFJの検査に入った目黒検査官のこの一言だった。「金融庁は当行を狙い撃ちにして、潰そうとしている」。UFJは宣戦布告と受け止めた。
金融庁検査に対応する、いわば闘いの最前線に立ったのは、頭取直轄の「戦略支援グループ」。不良債権処理の最高責任者である岡崎和美・副頭取、その補佐の早川潜・常務執行役員、大口融資先を担当する審査第5部部長の稲葉誠之・執行役員のトリオである。3人とも三和銀行の出身者で、岡崎副頭取は次期頭取の最有力候補。早川常務は三和時代にMOF担(大蔵省担当)を務め、将来の頭取候補と目されたエリートである。岡崎副頭取は、2003年7月上旬、旧三和銀行時代に不良債権処理の遅れを厳しく指摘した目黒検査官が、UFJ銀行担当の主任検査官になるという情報を入手すると、早川、稲葉両役員を副頭取室に呼び、「今度の検査ではガサ入れがあるだろうから、しっかり対処しろ」と指示した。
これを受けて7月下旬以降、「説明シナリオ検討会」が2回開催された。というのも問題企業を担当する審査第5部には、一つの会社について3段階の別々の評価があったからだ。審査基準を変えることによって「楽観」「成り行き」「最悪」の3つのシナリオが用意されていた。どのシナリオを採用するかは、戦略支援グループのメンバーの協議で最終的に決められた。
「ヤバファイル」
協議の結果、今回の検査に関して、「楽観」のシナリオが採用された。債務者区分を「破綻懸念先」から格上げすることによって、不良債権の処理・損失額は大幅に圧縮された。金融庁の指示通りに、厳格に不良債権処理を行えば、UFJは巨額の赤字決算となる。もし、赤字なら公的資金注入行に課せられた3割ルールに則り、寺西正司頭取ら経営陣が退陣しなければならなくなる。目標として掲げた収益を3割以上、下回ると業務改善命令など行政処分の対象となり、2年連続で下回ると経営陣の責任が問われることになる─―というのが3割ルールの骨子だ。3割ルールによる寺西頭取の退任を、絶対に避けるためにも、2004年3月期決算は大幅な黒字にするのが至上命題だった。
「楽観」のシナリオを採用して、金融庁の検査官には、その結論に沿った審査資料を示した。「成り行き」「最悪」のシナリオは隠蔽された。都合の悪い資料は、「ヤバファイル」(ヤバイ資料を意味する合成語)と呼ばれ、段ボール箱に入れて、東京本部の15階の審査第5部から、1階下の14階の別室に移動させた。パソコンに入力してあったデータ約3万5000件分も大阪のサーバーに疎開させた。さらに「楽観」のシナリオに矛盾が出ないように議事録を改竄したのである。
内部告発によって、「ヤバファイル」が発見された。ダイエーと大京の経営状況を査定した「ダブルD」と呼ばれている資料が含まれていた。隠蔽工作に強い疑いを抱いた目黒検査官は、一層、厳しい検査姿勢を取った。目黒の脳裡には「検査忌避」の4文字がはっきりと刻みつけられていた。厳しい検査に反発した岡崎副頭取、早川常務らは金融庁との全面対決へと踏み出した。検査官との協議の席で検査官とのやりとりを録音することを要求し、弁護士や公認会計士の同席を求めた。金融庁とUFJの確執は決定的となった。
行政処分
金融庁は、これらの行為を「組織的な隠蔽工作」と断罪した。問題にしたのは、違法行為に役員が、直接、関わっていた点だ。過去に例のない組織ぐるみの悪質な犯罪である。UFJが金融庁検査で隠蔽・改竄していたのは、「10にも満たない」大口の問題融資先の資料であった。これは、大口融資先の経営悪化が深刻の度を増しており、UFJは自らの手で死亡宣告をしなければいけないところまで追いつめられていたことを意味する。
UFJの2003年9月末現在の大口融資先は、ダイエーが4260億円で最大。次いで日本信販の3390億円、大京の2700億円。以下、ニチメン・日商岩井(現・双日)の2260億円、国際興業の1930億円、ミサワホームの1610億円、藤和不動産の1280億円、セントラルファイナンスの1250億円、アプラスの1230億円、オーエムシーカードの1070億円。“危ない会社”がずらりと名を連ねていた。金融庁は不良債権処理の不足分が2690億円あると指摘した。このうち1480億円分が、隠蔽された資料が陽の目をみたことにより明らかになった。
大口の問題融資先を中心に債務者区分が「要注意先」から「要管理先」以下に下げられた。この結果、持ち株会社UFJホールディングスの2004年3月期決算は4028億円の巨額赤字に転落した。もし、「ヤバファイル」が見つからなければ、UFJHDは厚化粧したままの数字を堂々と公表していたことだろう。
2004年5月、UFJ銀行は一部業務停止処分を含む行政処分を受けた。処分の対象となったのは、(一)検査を忌避した。(二)経営健全化計画で公約している収益目標を2年連続で3割以上、下回った。(三)公的資金行に義務づけられている中小企業向け融資を、実際よりかさ上げして報告した。(四)業績予想を下方修正したが、それでも決算短信の計数と大幅に異なる数値だった(実態を糊塗した数字を公表してきた、ということだ)─―の4件。
旧三和銀行の負の遺伝子
4つのうち、金融庁が「悪質性が高い」とみていたのが、資料隠蔽・改竄の検査忌避だ。「株式会社ユーエフジェイ銀行に対する行政処分について」(平成16年6月18日)と題された金融庁の資料には、組織的な隠蔽工作の実態が生々しく記されている。
(1)当行においては、債務者区分や償却・引当の判定等に重大な影響を与える重要な資料を執務室以外の場所へ移動・隠蔽する行為が行われた。また、同様の重要なデータ等を廃止された部署のサーバーに移動し、さらに、事実上その存在が探知できない状態に置くなどの行為が行われた。これらの行為は、検査に先立ち、累次(筆者注:何度もという意味)の部内会議における指示等の下、組織的に行われている。さらに、立入検査において、検査官が執務室以外の書類保管場所の存否について質問したのに対し、そうした場所は存在しない旨の虚偽の回答を行うなどの対応が行われた。また、検査官の傍らで一部の資料について破損等が行われた。
(2)当行の大口先などに関し経営陣等が審査を行った際の議事録について、債務者企業の業容や財務状況に係る懸念が表明された部分等を削除するなど、多数の改竄行為が行われた。これらの行為は、検査に先立ち、経営陣の関与の下、組織的に行われている。また、検査官の特定債務者に係る資料要求に対し、関係資料のうち債務者区分の判定に重大な影響を及ぼす事実の記載を削除する改竄行為が行われた。この行為も、経営陣の関与の下、組織的に行われている。さらに、立入検査において、これら改竄後の議事録等が真正なものとして検査官に提出された。
(3)上記資料・データ等の隠蔽等を前提に、個別債務者の業容や財務状況に関して、検査官に対し虚偽の説明が行われている。
UFJの処分は熾烈を極めた。2004年5月24日、寺西正司頭取らグループ幹部3人が引責辞任。6月18日、金融庁は検査妨害などを理由に業務改善命令を出した。7月14日、UFJホールディングスと三菱東京フィナンシャル・グループとの経営統合を発表。10月7日、金融庁は法人としてのUFJ銀行と早川潜・元常務ら3人を銀行法違反容疑で告発。12月1日、東京地検特捜部は岡崎和美・前副頭取ら3人を逮捕した。UFJの検査妨害事件の代償は、あまりにも大きかった。
なぜ、UFJは資料隠蔽・改竄までして金融庁に喧嘩を売ったのか。三和銀行の内情を知るメガバンクの役員は「激烈な派閥抗争が、違法行為もいとわない『負の遺伝子』として受け継がれていた」と指摘した。
――以上、拙著からの抜粋――
目黒氏のご冥福をお祈りする。
(文=有森隆/ジャーナリスト)