結局、朝日と毎日の共催になったが、この騒動に乗るように、さらに仰天証言が飛び出した。それが桐谷氏の「米長邦雄は私の婚約者を寝取った最低の男」との告発だ。前述の「週刊現代」に掲載された記事によれば、桐谷氏は「約20年にわたる米長氏の愛弟子で、一番傍で見てきた」人物だが、米長氏に婚約者を寝取られたと告発したのだ。
「あれはたしか87年頃のこと。当時、私は米長氏の愛人たちとの連絡役をやらされていました。私が師匠の米長氏に『故郷の広島に婚約者ができました』と報告すると、『一度会わせろ』と言う。ところが彼女に一目惚れした米長氏は、その後足繁く広島に通って彼女に婚約を破棄させ、代わりに自分の愛人にしてしまったのです。94年、私に新たな婚約者ができた時も再度しつこく『会わせろ』と言ってきて、結局私は再び婚約を破棄させられました。
その時、米長氏は私に、『以前の婚約者と結婚しろ』と命じました。広島に行ってまで面倒をみるカネが惜しくなったのです。そこで私と結婚させることで彼女を東京に呼び寄せ、愛人生活を続けようとしたのです。同時に、私の新たな婚約者も愛人に加えようという魂胆でした。米長氏は弟子の林葉直子女流棋士が自分の意に背いた時には、『林葉は父親と不適切な関係にあった』と触れ回って大騒ぎしたこともありました」
このようなことが続いたため、桐谷さんはついに米長氏との師弟関係を解消したのだという。米長氏は九段で、永世棋聖の称号を保持した人物。将棋連盟会長とともに東京都の教育委員も務めた。04年10月28日の秋の園遊会に参列した際には、最前列にしゃしゃり出て天皇陛下に「日本中の学校に国旗を掲げ、国歌を斉唱させます」と語りかけたが、陛下から「強制ではないことが望ましい」とたしなめられた過去もある。さまざまな絶倫スキャンダルで幾度も世間を騒がせた。
●失恋がきっかけで始めた投資によってブレイク
衝撃の事実関係を整理すると、米長氏に長年師事していた桐谷さんは、80年代後半に婚約者を米長氏に紹介したところ寝取られ、その失恋のショックで株取引を始めた。06年、週刊誌に米長氏を告発し、その翌年将棋界を去った。
なんとも衝撃的な桐谷さんの過去である。「(ファンケルの株主総会は)将棋連盟とは違って、とても“開かれている”感じがしましたね」と、暗に将棋連盟を批判しているのも納得がいく。
当然ながら、最近桐谷さんがよく登場する株主優待特集に関する本では、こうした過去には触れていない。多くの桐谷さんの定番オチは「自分は株の依存症だ。治すには恋愛しかない。(恋愛の見通しが立たないので)やっぱり、まだ株からは引退できそうもない(笑)」というものなのだが、桐谷さんのことを知れば知るほど笑えなくなってくる涙のエピソードである。
寝取られ、失恋したことがきっかけで始めた株式投資。それが今では「桐谷広人七段」ではなく「株主優待の桐谷さん」として日本全国で親しまれる有名人になるとは、さすがに棋譜のようには読めなかった人生だろう。
(文=松井克明/CFP)