「融資判断に当たり、この企業の決算書などを三期分用意してもらい、採り上げ可能かどうかの調査を行いましたが、私はこの会社の決算書を見て愕然としました。あまりにも利益率が高かったからです(略)普通の日本の会社では、とうてい考えられないほどの利益率だったのです。しかもその利益率は、海外の本店から製品を仕入れた上での利益ですから、本国の連結ベース利益率は桁違いだと容易に推測されました。
なぜ、そんな高収益企業が銀行から借入れを行う必要があるのかというと、あまりに日本法人が儲かり過ぎて、今後蓄積するであろう巨額の利益に対する税金を逃れるため、日本法人は親会社の百パーセント子会社であるにもかかわらず、日本法人が数百億円で本国からブランドの営業権を買い取ることにしたので、その資金を貸してほしいということでした(略)世界的に見ても金利が断然安い状態でしたので、本国がこの仕組みを考えたというのです。
外資による脱税の片棒をかつぐような話であり、幸いいまだ良識のあった私が勤める銀行は検討の結果お断りするという判断を下しましたが、資金の貸出先に悩むほかの大手銀行数社から、まんまと資金を引き出し、この会社のディールは成功したようです」
●銀行による子どもの洗脳プログラム
しかし、銀行を辞めるきっかけになったのは、金融グループ全体のCSR施策として、小中学校を対象にした金融教育プログラムをつくるプロジェクトに参加したことだ。
「私はこの時、プログラムの方向性が、まるでマクドナルドの味覚戦略と同じように、真っ白な子どもたちを洗脳するような発想だと感じて、次のように主張しました。
『対象となる年代の子どもたちに、金融の教育をするのであれば、保証人になってはダメとか、借金は怖いよとか、印鑑を押す意味はこうだよとか、まずはそういうことを教えるべきです。こうすれば借金ができるとか、外為の仕組みなどは、大人になって、必要に駆られてからで十分です。子どもを持つ親としても、方向性として賛成できません』
しかし、多勢に無勢で孤立し、結局、何もできませんでした。大銀行といっても、私企業として大きな支出には利害関係者への説明責任が伴いますから、特色を出し、本業への効果を盛ろうとする考え方を否定することはできません。また、私の考え方が間違っているのかもしれませんが、少なくとも自分の子どもに説明できない仕事の片棒をかつぐことになったと思いました」
これでは「自分の仕事を子どもたちに説明できない」と、えげつない銀行に別れを告げ、「学校では教えてくれない、しかし人生を歩む際には無視できないお金に対する基礎知識を、わかりやすく伝えることもできる僧侶」になることを決意したのだという。
「お金など必要のない神仏の視点から見ると、一人の人間が生まれてから死ぬまで、お金とどう向き合ったかが、その人の重要な判断ポイントになる」
「人生の真理が『苦』、つまり『思う通りにならない』なのですから、お金についても思い通りにならないのが真理」「思い通りにならないものとしっかりとわきまえつつ、お金に執着し過ぎず、かといってムダにもしない自分なりの中道を見つけるのが、お金に振り回されないようにする方法」だという。
アベノミクスで浮かれる多くの日本人にとって、この夏の必読書ではないだろうか。
(文=松井克明/CFP)