平手友梨奈はワガママだったのか?大人に支配されるな、と大人に歌わされた欅坂46の真実
2020年1月23日に突然の脱退発表がなされ、ソロアーティスト・女優として歩み始めた、元欅坂46の平手友梨奈。2015年11月からの4年間の彼女のアイドル人生を、アイドル評論家・ガリバーが語り倒す。前編ではデビュー以降の彼女の足跡をたどり、後編ではそれを受けてのガリバー氏の論考を掲載していく。(【前編】はこちら)
常に予測不能なエンターテイメント
“予測不能なもの”が魅力的に輝くためには、“安定したもの”がそれと同時に存在することが非常に重要である。“予測不能な”平手友梨奈を擁する欅坂46にとって、その“安定したもの”とはすなわち、乃木坂46であった。
欅坂46に相対するものとしては、けやき坂46(ひらがなけやき・現日向坂46)がしばしば挙げられてきた。すなわち、欅坂46が月だとすれば、けやき坂46は太陽なのであると。
しかし筆者は、現在の日本の女性アイドルグループの頂点に君臨しながら、しかも欅坂46の最も身近に存在する乃木坂46こそがそれなのだと強調しておきたい。乃木坂46が常に「安定」を担保した健全なエンターテインメントを提供しているからこそ、欅坂46は成立し得ているのである。アイドルという存在のなかにある、非常に刹那的で不安定な部分を乃木坂46が排除ししかも成功し得たからこそ、そこから排除された期待がすべて欅坂46に向けられた――ということだ。少女たちに不安定性を求めることは理不尽なのかもしれない。しかし以上の視点に立てば、欅坂46は、そもそもの成り立ちからして、“不安定性”という運命を背負っていたともいえる。
常にギリギリの、崖っぷちのステージ
そのような不安定性を抱えたまま、まさに彼女たちは予測不能のステージを見せてくれていた。それは他のどんなメジャーアイドルグループにも似ないものであり、またそもそも安易に模倣すべきようなものでもなかったであろう。
その中心に屹立していた平手友梨奈の身を削るようなパフォーマンスに、筆者は何度胸をわしづかみにされたかわからない。と同時に、グループの仲間と笑顔で戯れる年相応の姿を垣間見ることも多かった。思えば、その中間というものがない人であった。常に0か100か。
欅坂46のステージをその日その会場でしか観られない人にとっては、平手友梨奈が「0」であった場に居合わせたとすればなんとも不運ではないか、という意見もあろう。しかし、かといってその「0」の平手友梨奈が「悪」なのではない。それもまた平手のその時の生き様としてステージに反映され、それがエンターテインメントとして十分に成立しているからこそ、欅坂46のパフォーマンスは魅力的だったのだ。単にフリが揃っているだとか笑顔ではないとかそういった評価は、平手と、彼女が所属したグループの評価を従来のアイドル像に押し込めるだけのものでしかないだろう。
秋元康との関係、TAKAHIROとの出会い
AKBグループと違って坂道シリーズのメンバーは、総合プロデューサーである秋元康のことをあまり「秋元先生」とは呼ばず、「秋元さん」と呼び一定の距離を保つことで知られている。しかし、平手はその例にもならわなかった。平手と秋元康とは、より緊密な距離感で、相談事をしたりデモ音源も共有したりするような関係性であったという。これだけ秋元康と親しい坂道メンバーは、おそらく平手だけだったといってよいだろう。
平手を語る上でもうひとり欠かせないのは、振付師・TAKAHIROとの関係だ。欅坂46の世界を語るにあたってTAKAHIROの重要性はいうに及ばないが、この点においても、彼と常に近しかったのは平手友梨奈だ。欅坂46の振付を一度でも観たことのある者ならば、誰でも納得しよう。平手との会話を通じてTAKAHIROは、平手がひとり特に前に立つ、あるいは平手のみが独立した動きをするあれらの振り付けを仕掛けていった。そしてその関係性がそのまま、欅坂46全体のクリエイティブへのTAKAHIROの関与に繋がっていく。つまり、平手自身が積極的に、(ときに批判されもした)コンサートの演出や選曲について関わっていたわけだが、それは平手がクリエイティブに関与する大人たちと直接交流を続けていたなかで生まれていった必然的な流れであり、そうした交流によって平手のなかに生じた感情がベースにあったればこそのものであろう。
「大人に支配されるな」と大人に歌わされている構図
「大人に支配されるな」という欅坂46のあのメッセージも、結局は大人たちに支配されて言わされているだけではないか――。平手友梨奈を中心に、欅坂46はしばしばそのように揶揄されもしてきた。しかし先述した通り、平手は直接的に作品づくりに関わり、コンサートの演出にさえ関与をしていた。つまり、ほかならぬ平手自身が自ら望んだものでもある表現を、彼女たちは自身の身体でパフォーマンスしていたのだ。
なにより、あのステージを観ている者ならば、そこに立っている平手友梨奈に「やらされている感」を読み取ることはきわめて困難だったはずだ。たとえつらそうでもしんどそうでも、平手は必死に先頭に立ち、あらゆる言葉にも視線にも向かっていき、すべて受け止めていた。その姿に、「大人に演出されているだけの姿」を読み取るのは、あまりに安易ではなかろうか。
彼女は“わがまま”だったのだろうか?
平手友梨奈はこの約4年間、特に後半の2年間においては、「体調不良」を理由にステージを休むことも多かった。2017年末の骨折の時期ならいざしらず、それ以外の時期でも、特に開演の“直前に”ファンに対して欠席が伝えられるようなことも多かった。しかしそれも逆にいえば、直前までなんとか出演しようと踏ん張った彼女の努力のせいなのかもしれない。
直前まで彼女の姿を期待して現地に出向いた多くのファンにとってみれば、それでも結果的に出られていないではないか――といわれればそれまでではあろう。しかし彼女は、自分が出られた場面においては――それはたとえば2017年の全国ツアーの千秋楽ダブルアンコール時であり、2018年の全国ツアーの千秋楽時であり、そして2019年の全国ツアーの大阪公演における復帰の時である――その時に自分が出せるベストは尽くしてきたように思われる。
8枚のシングルと1枚のアルバム
欅坂46はこれからも続いていく。そして確実に変化をしていく。となれば、平手友梨奈と共に過ごしたこの8枚のシングルと1枚のアルバムもまた、今後まったく違う性質を持つものに変化していくことは避けようがないだろう。平手がセンターとして存在しているからこそ作られた楽曲たちがあり、平手がいたからこそできたステージがあった。彼女が真ん中に、先頭に立っていたからこそ成立し得た欅坂46というグループがあったことは、疑いの余地がないものである。
それらの楽曲たちは、これからも歌い継がれていくだろう。これまで、2nd ANNIVERSARY LIVEや平手不在のイベント時にもそうであったように、誰かが代わりを務めながら、楽曲たちは生き続けるだろう。もちろん、同じような楽曲は平手のいない欅坂46には生み出せないだろうし、またその必要もないだろう。欅坂46は、これまでは平手の及ぼす影響があまりに大きかったとはいえ、多くの非常に魅力的なメンバーで構成されたグループである。しかし、平手が在籍していたことによって、そのことが伝わりづらかった側面もあるだろう。これからは、そのような環境も変わっていくはずだ。
「脱退」後の平手友梨奈
平手友梨奈はまだ18歳である。これだけの重責を担いながら彼女は、アイドル界、芸能界の最前線で戦い続けてみせた。14歳にしてセンターという重責を負い、18歳での脱退に至るまで、どれだけの葛藤と苦労と、努力とがあったかわからない。筆者をはじめ多くのファンは、そんな平手友梨奈の姿に魅了されてきた。彼女のその足跡は、一連の楽曲と共にアイドル史に燦然と輝き続けるであろう。筆者は、平手友梨奈の姿を忘れない。たった4年間ではあったが、それは非常に濃密なものであった。
脱退発表直後の彼女の沈黙。そこにも、彼女の人間性が詰まっていたように思われる。この沈黙に対しても、それが彼女のワガママさと傲慢さ、無気力さと独善性の証左だという人がいるならば、もはや筆者は彼らに語る言葉を持たない。
彼女は次の一歩を踏み出した。女優として、表現者として、これからも新たな道を見せてくれるであろう。しかしその原点にあるのが欅坂46であることに変わりはない。彼女が巣立ったあとの欅坂46がこの先変化を遂げ、そしてひとりで活動する平手友梨奈と互いに影響を及ぼし合うような関係になれたなら、どれだけ素敵だろうか。筆者はこれからも、平手友梨奈そして欅坂46の変化と成長を、楽しみにしていきたい。(【前編】はこちら)
(文=ガリバー)