映画『未来のミライ』が苦境に陥っている。『時をかける少女』『サマーウォーズ』など大ヒット作を次々と世に出してきた細田守監督の最新作で、ヒット間違いなしと前評判も高く、今月、全国367館で公開された。
しかし、興行成績は公開1週目にして2位。そして何よりも各種レビューの点数が軒並み低く、たとえば「映画.com」では5段階評価で2.5となっている。コメント内容を見ても「細田家のホームビデオを見せられている気分」「どうして公開しようと思ったの」といった辛辣なコメントが多数みられる。
筆者も実際に映画館へ足を運び、「これはヒットしないぞ」と感じた。ストーリーやキャラクターの問題ではない。『未来のミライ』が中流社会の幻想に依存した映画だからだ。
子どもを2人産めるという「ぜいたく」
『未来のミライ』は、主人公の男の子「くんちゃん」に妹ができたことから発生する、親子の葛藤を描いたドラマだ。未来から来た妹「ミライちゃん」や、かつては王子扱いだったが、くんちゃんの誕生とともにその座を奪われたペットの「ゆっこ」を中心に、夢と現実を交えた交流が生まれる。
だが、考えてみてほしい。日本で子供を2人産めるのはすでに「ぜいたく」だ。子ども一人当たり、生まれてから大学まで通わせるためにかかる費用は2400~3000万円ともいわれている。1年当たりにすると、140万円前後だ。30代の平均世帯年収は559万円なので、手取りは夫婦で合算してもせいぜい400万円台だと思われる。この収入で子ども2人分、つまり年280万円もの支出をするのは身の丈に合わない。日本の平均的な共働き夫婦では、子ども2人を養えないのだ。
したがって、『未来のミライ』に出てくる子ども2人の家庭は、すでに上流家庭であることを示唆させる。そして、自分と階級が異なる家庭のドラマを見ても親近感がわかないのは当然だろう。