独身・一人っ子の増加による「親近感」の減少
さらに、現在は独身の男女が増えている。30代前半では男性の2人に1人、女性の3人に1人が未婚である。そうなるともう、既婚共働き夫婦という家庭像にすら親近感がわきにくい。10~20代の映画館鑑賞率は他の世代と比較して高い傾向があるが、若者に刺さらない家族構成と階級を見せてしまったのが『未来のミライ』なのである。
家族を描きながら大ヒットした細田監督の『サマーウォーズ』と比較してみると、『サマーウォーズ』は一見家族ものでありながら、戦いの舞台はオンラインのゲーム世界であり、ネットでつながった仲間と戦う点が若者にも共感を呼びやすかった。
対して『未来のミライ』は家族関係を主軸に置いた映画であり、「妹ばかりかまう親への嫉妬心」といった兄弟だからこその悩みが、乗り越えるべき課題となっている。しかし、今の30代未満は一人っ子が多い。そもそも兄弟同士での嫉妬心すらフィクションじみているのだ。そして2人以上の子どもを持つことが「ぜいたく」である以上、同様の傾向はこれ以降の世代にも続くだろう。
中流の暮らしに共感できないほど貧しい日本社会
細田監督は、自分の子どもたちをテーマに映画をつくったと語っているが、それが上流階級のぜいたくとなっている点には無自覚だ。筆者が『未来のミライ』を見ながら、こうした階層意識の欠如にモヤモヤしたシーンをいくつか挙げてみよう。
・カラフルなゼリーで彩られた高級ケーキを、特にありがたがる様子もなく食べているシーンが登場する。「お金持ち」という設定ならわかるが、ごく一般的な共働き家庭としてそれが出てくる。
・祖父母が新幹線を使って気軽に実家へ来る。新幹線代をそんな頻度で払えるシニアはそこまでいないはずだから、祖父母の代から資産家なのだろうか。となれば、大半の観客の将来像とは大きな差がありそうだ。
・極小面積に工夫して建てた家、という設定で自宅が出てくるが、その極小住宅がかなり広い。ヴィンテージの家具でこだわりも見え、どう考えても世帯年収は2,000万円を超えていそうだ。それを前提としているならいいが、あたかも「普通の家」としてセットされている。
細田監督が「普通の中流家庭」として提示している風景は、どれも一部のアッパー層だけが楽しめる暮らしであり、共感しづらいのである。
それは、細田監督のせいというよりも、日本が貧しくなったせいかもしれない。子どもを2人持って人口を維持することがぜいたくになる社会など、どう考えても異常だ。だからこそ『未来のミライ』を見て細田監督へ怒りはわかなかった。まったく共感できないぜいたくな風景を前に、悲しくなってしまった。夫婦が共働きで子ども2人を育てる姿に共感できないくらい日本は貧しくなり、中流社会は消えてしまったのだから。
(トイアンナ/ライター、性暴力防止団体「サバイバーズ・リソース」理事)