反権力ニュースサイト「TABLO」編集長が、思わず「あの頃」を思い出してしまう、オトナのための映画を紹介します。
『ロッキー』のスピンオフ的性格
前作を見て「ロッキーが今はこんなふうに隠居しているのか」と感慨深くなったものです。いい感じに年取ったロッキー・バルボアですが、前作はロッキーのライバル、アポロ・クリードの息子ドニー・クリードを育てる師弟映画の定番でした。その続編が『クリード2』。
よかったですよ。主演のクリードがほとんどスタントなしで演じているのを聞いて、ボクシングの基本、「肩抜き」ができているなあ、とか、ミット打ちが余りにも早いので「早回し」で撮影しているのだろうか、と思ったほど本格的ボクシングテクニックを披露しています。
格闘技・スポーツ映画は、ある程度のリアリティを求められます。もちろん、できなくてもよいのですが、誤魔化しの効かないのがボクシング映画ではないでしょうか。
前作もそうだったのですが、この映画はボクシング映画で成功を収めた『ロッキー』シリーズや実話に基づいた『ハリケーン』『ザ・ファイター』『ハンズ・オブ・ストーン』のような勇ましい映画ではなく、カメラワーク、照明、BGM、すべてが粛々としてお洒落です。
ロッキーが吠える、あのテーマ曲が流れる、そしてこちらのテンションが上がる……という従来の『ロッキー』シリーズとは趣が異なります。すごく「静か」な作品です。おとなしいといっていいかもしれません。そういう意味では『ロッキー』の続編という位置づけにはなっているのですが、スピンオフのような性格を持っているように感じられました。
ストーリーは、従来のロッキーと同様の構図です。師弟関係のぎくしゃく、主人公の挫折、それを支える妻子と母の姿などを描いていきます。で、リングに上がり、結果はハッピーエンドという単純なものです。が、こういう映画もたまには見たくなります。あまりにも考えさせられる映画は、時には重く感じられます。
ボクシング映画には必ずライバルが登場しますが、今回は『ロッキー4/炎の友情』(1985年公開)でクリードの父をリング上で殺してしまったロシア(映画公開当時はソビエト連邦)出身のイワン・ドラゴのジュニアである、ヴィクター・ドラゴがライバルです。クリードにとっては父の敵(かたき)。が、ヴィクター・ドラゴは余りに強く、その体格差は歴然です。両者ともヘビー級という設定ですが、比較すると、クリードはスーパーウェルター級ぐらいに見えました。
あのロシア美女はいい感じの熟女へ
一回目の両者の対戦では、クリードとの間に齟齬が生じたコーチであるロッキーはセコンドにつきません。ドラゴのボディ打ちに苦しんだクリードはアバラ骨折という重傷を負い敗北。挫折したクリードのもとにロッキーが駆けつけ、独特のトレーニングに励み再戦に望むのですが、ボディ打ちの対策をするのかと思っていたら、ひたすら基礎体力をつけることに励んでいます。
あれ? それで勝てるの?
『あしたのジョー』のように、対戦相手に合わせた対策を練るのかなと思ったのですが少し脱力しました。そこはもう少し丁寧に描いてほしかったです。
が、あまりにボクシング映画にリアリティを追及しても野暮というもの。それよりも、当然ではありますが、イワン・ドラゴが老けたなあと感じました。あのドルフ・ラングレンが今はこんな感じの悪役ぶりになっているのか、とか、あの時セコンドにいたロシア美女がいい感じの熟女になって登場した時は感慨深いものを感じました。昔からのロッキーファンは嬉しかったでしょう。
『ロッキー』は続編が公開されるたびに、シリーズ映画の定番とも言うべき「初回が一番良かった」という評価をされてしまう映画ですが、『クリード』は恐らくそういった世間の評価をちゃんと汲んだうえで、制作スタッフがベストを尽くしたのではないでしょうか。結果、第一作と比べられないような「お洒落なボクシング映画」になったと思います。
それより、僕は主人公のクリードではなく、ライバルのドラゴに思い入れがありました。『ロッキー4』で母国開催の試合でロッキーに負けた父は、「ヒーロー」から「野良犬」のように政府や世間の扱いが露骨に低くなったそうです。
可哀そうだろ。同情しました。そしてクリードの試合の結果は……。余計、可哀そう。負けて得られるものがあるはずです。濃くハッキリとした線を引くには敗北が必要なのです(漫画『喧嘩稼業』よりセリフ抜粋)。
(文=久田将義/TABLO編集長)