NHK大河ドラマ『いだてん』の第6話が10日に放送され、平均視聴率は9.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録、大河史上最速で1桁台に転落したことがわかった。第6話は、オリンピック予選会のマラソンで優勝した金栗四三(中村勘九郎)が正式に派遣選手に選ばれたいきさつを描いた。
嘉納治五郎(役所広司)率いる大日本体育協会は、とにかく資金難に苦しんでいた。有力なスポンサーもなく、国の援助も得られず、それでいてお金はどんどん出ていく。オリンピック予選会にも多額の費用がかさみ、嘉納個人も大変な借金を抱えていた。それなのに嘉納は、母国から授業料の援助が得られなくなるかもしれないと不安がる清国からの留学生に資金援助を約束してしまう。
どうにもならなくなった嘉納は、自費で参加したほうが重圧を感じなくて済むからと金栗を丸め込む。困り果てた金栗は、実家に宛てて正直に状況を書き送った――という展開だった。
この第6話で視聴者の印象に残った台詞をひとつ挙げるとすれば、金栗が発した「負けたら切腹ですか?」ではないだろうか。「明治の世になったのに切腹だなんて」と金栗を笑うことはできない。それから100年以上たった今でも、オリンピックに参加する選手たちの多くは「国民の期待」という重荷を背負っているからだ。
もちろん、我々が直接選手たちにプレッシャーをかけているわけではない。だが、リオデジャネイロオリンピックで銀メダルを獲得したレスリングの吉田沙保里元選手が「たくさんの方に応援していただいたのに銀メダルで終わってしまって申し訳ないです」「ごめんなさい」とカメラの前で号泣したのを覚えている人も多いだろう。国民の誰もが「そんなことないのに」「銀メダルなのだから胸を張って」と思ったはずだ。だが、国を代表して出場するオリンピックの重圧は、明治時代も今もあまり変わらないのかもしれない。
視聴者のなかには、「負けたら切腹ですか?」という金栗の台詞に、円谷幸吉の生涯を連想する人もいたようだ。1964年の東京オリンピックで銅メダルを獲得したが、その後さまざまなトラブルに見舞われて周囲の期待に応えることができず、華々しいデビューからわずか4年で命を絶った悲劇のランナーだ。「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」と書かれた遺書は、当時の世間に大いに衝撃を与えたという。
ただ、『いだてん』は1964年の東京オリンピックが開催されるところまでを描くと思われるため、円谷幸吉の悲劇は描かれない可能性が高い。とはいえ、円谷幸吉の悲劇や、100年後の現代まで続く「国を背負って戦う重圧」を下敷きにしつつ、金栗に「負けたら切腹ですか?」と言わせた脚本は非常に深みがあるといえよう。
オリンピック出場を受諾した金栗が、現地に似た環境で練習しようと浅草と芝の間を毎日走っていた同じ頃、後に古今亭志ん生となる美濃部孝蔵(森山未來)が師匠の柳家円喬(松尾スズキ)を人力車に乗せて同じ場所を走っていた――という描写も粋だった。互いを知らない若き日の2人が日本橋ですれ違い、その後ろに大きな花火が上がる演出は、さながら映画のようで見事。回を重ねるごとに志ん生と金栗の接点が徐々に明らかになる仕掛けも興味を引く。
これで終わっておけば良かったのに、「落語の『富久』は浅草から日本橋まで行く噺なのに、志ん生が勝手に浅草から芝まで行く噺に変えた」という、かなりどうでもいい小ネタを無理やりねじ込んでしまうのが宮藤官九郎の悪いところ。いや、金栗と志ん生がすれ違っていたというエピソードを描くためには欠かせない要素であることはわかるし、正直言って「自分の趣味をうまく本筋に絡ませたなあ」と感心もする。
だが、またしてもマニアックに落語ネタをねじ込み、そのために時代も急に飛んだため、より一層視聴者にとっつきにくさやわかりにくさを与えてしまったことは否めない。もしこのまま「ごく一部のおもしろがる人だけが盛り上がるドラマ」になってしまうとしたら、非常にもったいない。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)