現在、売れっ子街道まっしぐらなのが、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の漫才コンビ・霜降り明星。昨年のM-1グランプリで優勝しただけでなく、ツッコミの粗品はR-1ぐらんぷりでも優勝、平成の最後に現れた実力派芸人として、令和の時代に大活躍することは間違いないだろう。
この3月まで大阪を拠点に活動してきた霜降り明星だが、吉本は数年前から少しずつ“プッシュ”してきた。そんな吉本の努力が実って、賞レースで結果を出すとともに、ついにブレークを果たしたわけだ。
平成最後の吉本プッシュ芸人が霜降り明星であるならば、平成最初の吉本プッシュ芸人はダウンタウンだろう。ダウンタウンのほか、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子がレギュラー出演したコント番組『夢で逢えたら』(フジテレビ系)がスタートしたのは昭和63(1988)年10月のこと。そして、年が明けて平成元年になったところで、ダウンタウンは本格的に東京に進出し、そのまま大ブレークしていったのだ。
ダウンタウンの成功後、吉本は数多くの芸人たちをプッシュしていくこととなる。そんな平成の「吉本プッシュ芸人」たちを振り返ってみよう。
銀座7丁目劇場を拠点にロンブーがブレーク
1991(平成3)年、ナインティナイン、雨上がり決死隊、FIJIWARA、バッファロー吾郎、チュパチャップス、へびいちごからなるユニット「吉本印天然素材」が結成された。お笑いだけでなく、ダンスを踊ったりCDを出したりなどアイドル的なアプローチで売り出し、主に10代女子からの人気を獲得する。その人気は長くは続かなかったが、ここからナインティナインがスターダムを駆け上がることとなる。
1995(平成7)年には、天然素材の弟分的ユニットとして、「フルーツ大統領」というユニットが誕生。COWCOWのほか、小籔千豊のコンビ・ビリジアンなどが所属していたが、残念ながら大きく売れることはなかった。
同時期には、銀座7丁目劇場を拠点に、ロンドンブーツ1号2号やココリコなどが人気となる。この中から、いち早く吉本からプッシュされたのがロンブーであり、その後はテレビを中心に人気者となった。
時期は前後するが、1993(平成5)年あたりから大阪の2丁目劇場では、千原兄弟、ジャリズムが人気となり、1995年頃に東京進出。千原兄弟とジャリズムによる深夜番組『エンタメゆうえんち 東京移住計画』(1995〜1996年、フジテレビ系)や、雨上がり決死隊を加えた3組による『アメジャリチハラ』(1996〜1997年、テレビ朝日系)といった番組があったが、残念ながらここのタイミングでのブレークはなかった。千原兄弟や雨上がり決死隊が本格的に売れっ子になるのは、2000年以降のことである。