●SOCへ舵を切ったことの是非
ではここで、日本メーカーがDRAMから撤退してSOCへ舵を切ったことの是非を客観的に考えてみたい。
図1に、半導体製品別売上高の推移を示す。DRAMは好不況により大きく乱高下しており、特に1995年と00年に大きなピークがある。95年のピーク後のDRAM不況時、前述の通り雑誌が「DRAMなんかやめてSOCに舵を切れ」と書きまくったわけだが、インテルの主力製品プロセッサを含むMPU(演算処理用の半導体チップ)は、DRAM大不況に陥った1997年以降、最も大きな売上高を示す。ところが、01年以降はSOCを含むロジック(後述参照)がMPUを上回って急成長していることがわかる。
このようにして見ると、雑誌が書いた記事は的を射ていたともいえる。それなのに、なぜ日本のSOCは壊滅的になったのだろうか?
●SOCの本質とは何か?
01年当時の「半導体戦略推進会議」の議事録がある。主催は半導体業界のシンクタンク的存在、半導体産業研究所(Semiconductor Industry Research Institute Japan、SIRIJ)で、参加メンバーは大手半導体メーカーの会長、社長、専務クラス、産総研の理事長やセンター長、経済産業省、大学からの有識者たちである。
議事録によると、日本半導体のシェアが低下して行く中、今後どのような対策を打つべきかが数カ月にわたり討論されている。その結果、次第に日本はSOCに向かうべきであり、そのための国家プロジェクト「あすか」を立ち上げる方向に議論は集約していくのだが、もしかしたらこれが雑誌によるミスリードの結果なのであろうか。
議論中では、理工系ではなく経営学が専門の大学教授が次のような注目の発言をしている。
「SOCという巨大市場が出現するかのような錯覚に囚われているが、実際はニッチの集合体であることを認識するべきである」
「SOCとはニッチの集合」。これがSOCの本質である。実は、SOCという半導体製品はない。ロジックとは、何千種類にも及ぶASIC(Application Specific Integrated Circuit)という半導体製品の総称であり、その中の特に集積度の大きな半導体製品をまとめてSOCと呼んでいるに過ぎない。
●なぜ日本はSOCで失敗したのか?
このようなニッチの集合体SOCを攻略するために、日本半導体は何をしたのか?
日本がやったことは、STARC、SELETE、ASPLA、HALCA、MIRAI、EUVA、ASET、CASMAT、DIINなど覚えきれないくらいのコンソーシアムを立ち上げ、国家プロジェクト「あすか」を10年以上にわたって継続運営し、人、金、時間をつぎ込んだことである(図2)。
そこで主として行われたことは、最先端のプロセス技術開発だった。これでニッチの集合体SOCを攻略できたかといえば、結果的にはまったくできなかった。SOCを攻略するために日本が強化すべきことは、設計力とマーケティング力の強化だった。日本が行った最先端のプロセス技術を追求するのは、DRAMやフラッシュなどのメモリの発想である。
SOCの特徴である多品種少量生産に対応し利益を上げるために必要なこととは、どんなシステムが将来有望な売れ筋になるのかを察知するマーケティングであり、それに基づいてシステムをアーキテクトする設計力である。このどれも日本は弱いし、その上おろそかにしていた。だから日本のSOCは壊滅したのである。
●SOCの失敗における教訓とは?
結果からいうと、DRAMから撤退してSOCへ舵を切ったのは、たとえそれが雑誌にミスリードされたためだとしても間違っていなかった。しかし、日本半導体業界はその攻略方法を大きく間違えた。その原因は、SOCの本質がニッチの集合体であることを、当事者たちが理解できていなかったことにある。
冒頭に書いた通り、現在IoTがブームである。もしかしたら日本は、またしても雑誌に煽られているのかもしれない。SOCの失敗と同じ轍を踏まないためには、IoTの本質とは何かを理解し、IoTで儲けるためには何が重要なのかを冷静に分析し戦略を立てることが必要である。
(文=湯之上隆/微細加工研究所所長)