他方で隣国との摩擦が絶えないところでは、また別な国際公共財の動きがある。例えば周辺国同士の争いの可能性に直面していると、両国とも軍縮が望ましいと思っていても、自国だけ軍縮してしまうと不利になってしまうため、お互いに軍拡を選んでしまう。この状況を、浜田氏は「戦略的補完」と名付けた。
米中対立という戦略的代替がもたらす防衛財の不足
ここで現在の日本の状況をみると、近隣諸国との国境をめぐる争い(尖閣諸島、竹島など)により、戦略的補完の状況が生まれやすい。他方で、南シナ海における軍事基地建設を契機にして中国と米国の軍事的緊張は高まり、これもかつての冷戦と同じような戦略的代替を生みやすい。
経済学的には興味深いのはここからだ。戦略的代替的な現象(=望ましい国際的公共財の不足)と戦略的補完的な現象(=国際的公共財の過剰圧力)が重なると、前者の不足を後者が補い、「最適な」国際公共財の供給が達成され、域内の安定に寄与するかもしれないのである。実際に冷戦期のいくつかの地域の安定は、これによりもたらされたとする経済学者もいる。
今回の安保法制をどのように経済学的に解釈するか。この国際公共財の適切な配分に引き寄せて理解する必要があるだろう。現状では、朝鮮半島や日本の周辺海域における防衛という公共財は、むしろ不足していると日本や米国政府は認識している。筆者の意見も同じである。
つまり米中対立という戦略的代替がもたらす防衛財の不足を、日本は自国と周辺地域における防衛費増額というかたちで解消するほどの戦略的補完の状況になっていない。実際にこの20年あまり、日本の経済停滞を背景に日本の防衛費は実質的にほぼ横ばいである。安保法制というかたちが正しいのかどうかは憲法論も絡んでくるだろう。だが、日本の直面する安全保障秩序では、防衛という国際公共財の過小をいかに解決するかが、緊急の課題だといえる。
(文=田中秀臣/上武大学ビジネス情報学部教授)