憲法9条の限界
–倉山さんは「護憲派は論外」と主張されていますが、護憲派が焦点とする憲法9条の限界はなんでしょうか。
倉山 限界といえば、何もできないことでしょう(笑)。ただ、今の護憲派の中で9条はマイナーな問題です。護憲派が焦点にしているのは9条よりも人権であって、13条(幸福追求)、24条(両性の平等)、25条(健康で文化的な生活)です。
むしろ、9条を争点にしているのは、保守派の方です。飯の種ですから(笑)。「お前ら、何年、9条で飯を食ってるんだ」と言いたいです。一生懸命、集会をやって「憲法改正だ」と騒いでいるのに、70年たっても誤植1文字変えられていない。天皇の国事行為を定めた7条には「国会議員の総選挙」という文言がありますが、参議院は3年ごとの半数解散なので、衆参同日選挙でも半分は残ります。絶対に「国会議員の総選挙」など存在しないのですが、「総」の字、1文字すら削ることができないでいる。
そんな、一度も勝ったことがない保守派ですが、変なことを主張しています。保守系の人たちは「9条でも、1項は侵略戦争について書かれているだけだから気にしなくてもよい」と言っていますが、9条をまったく理解していません。9条1項で禁止されている「国権の発動たる戦争」はマッカーサーがメモに走り書きをして、それが民政局に示された時には「主権の発動たる戦争」と書かれてありました。つまり、「マッカーサーは日本国の主権を認めない」という条文なのです。また、9条2項の「国の交戦権は、これを認めない」という文言も、「マッカーサーは日本の交戦権を認めない」という意味であり、主語はあくまで「マッカーサー」です。
もともと、そういう性質のものを、とりあえずは国としてやっていけるように解釈してやってきただけなのですから、そもそも9条の議論はどこまでやっても矛盾するだけです。
だいたい、日本国憲法の三大原則は国民主権、人権尊重、平和主義だといわれますが、これはもともと旧文部省(現文部科学省)のパンフレット『あたらしい憲法のはなし』に「國際平和主義」「主権在民主義」「基本的人権」と書かれたものを、宮澤氏が三大原則として祀り上げたようなものです。当時の文部官僚は、現在からは想像もつかないぐらい優秀でした。戦前に「八紘一宇」なる言葉をあそこまで広めたことでもわかるように、上が決めたことを国民に普及させることに長けていました。
『帝国憲法物語』 西洋列強の脅威から日本を守るために、たった一人で三千人の敵に立ち向かった高杉晋作。強固な意志を貫きつつ「万機公論」を本気で実行しようとした大久保利通。早くから憲法こそが国家の廃興存亡を決すると見抜いていた木戸孝允。そして彼らの意志を継いで真に日本の歴史に立脚した憲法を制定すべく苦闘を重ねた伊藤博文と井上毅―幕末明治の日本人たちが上下一心となって勝ち取った大日本帝国憲法こそ、我が国の自主独立を守るための「最強の武器」だった。だが、しかし―。今、すべての日本人が知っておくべき歴史の真実。