分党を求めて認められなかったのは、たとえば2000年3月に結成された保守新党の例がある。自公との連立解消を決めた自由党党首の小沢一郎氏に、扇千景氏、二階俊博氏、海部俊樹氏などが反発し、分党を求めたが拒否された。
その小沢氏は12年7月、消費税増税に反対して民主党を離党を表明したが、執行部から除名処分を受け、分党は叶わなかった。この時、民主党は政権政党だったが、09年の衆院選で民主党が躍進したのは、小沢氏が代表代行として選挙を指揮したおかげでもある。それでも当時の野田佳彦氏率いる民主党は、小沢氏らをばっさりと斬り捨てた。分党か分派かを決める権限を持つのは執行部。自民党幹事長時代から常に政界を動かし、辣腕政治家で知られた小沢氏ですら、これに屈せざるを得なかったのだ。
ところが維新の党の場合、除名された大阪系の議員たちは松野頼久代表ら執行部側に屈していない。松野氏に代表権はないとして、24日に臨時党大会を開き、代表として馬場伸幸衆院議員を選出し、維新の党の「解党」を議決した。
さらに10月20日に振り込まれた政党交付金6億6000万円が騒動の原因になった。通帳と印鑑を保管し口座を管理しているのは、大阪の維新の党本部だったからだ。振り込まれてしまえば、大阪系の自由になる。
これをなんとか大阪系に渡したくない執行部側は、松木謙公幹事長代行を大阪に派遣して通帳と印鑑の引き渡しを要請するとともに、振込口座を凍結する手段に出た。これで大阪系が引き出せなくなったが、同時に執行部側もお金に手を出せなくなった。こうして国民の税金から出されている政党交付金を巡り、血で血を洗うような争いが繰り広げられている。
みんなの党の分裂が雛形?
しかしよく考えれば、この騒動の原型は13年12月のみんなの党の分裂に見ることができる。みんなの党は同年7月の参院選以降、代表だった渡辺喜美氏と幹事長だった江田憲司氏との路線対立が激化、修復不可能になった。江田氏ら14名はみんなの党を離党して結いの党を結成したが、渡辺氏はなかなか分党を認めず、すぐさま会派離脱手続きを行わなかった。政党交付金ばかりではなく議員に月額65万円支給される立法事務費をも召し上げ、兵糧攻めにするつもりだったともいわれた。