都心回帰を計画する大学の1つ、拓殖大学の福田勝幸理事長は、昨年6月の就任挨拶の中で「都心回帰の大学間競争に勝ち進んでいきたい」と抱負を語っている。この言葉で明らかなように、ここ数年続いている都心回帰ラッシュは、移転しないと学生確保ができず、生き残りが難しいなど、多くの大学経営者が認識しているからにほかならない。
「都心回帰の大学間競争」とは、具体的には、先ごろ付属高校への裏口入学問題で解任された中央大学の久野修慈・前理事長の言葉を借りれば「ライバル校との間での優秀な学生の争奪戦」ということになろう。学生の質を高めるには量を集め、そこから選抜する必要がある。学生にとり通学に便利、アルバイトや就職活動に便利、学術・研究の情報収集に便利であるとともに、イメージ的にもよい都心キャンパスの設置、あるいは新設/移転は、そのために不可欠な環境整備ということになる。
特に実務家教員などを集めたり、社会人大学院を開設したりする場合にも、都心のキャンパスは有利に働く。例えば東京近辺の便を考えてみても、多摩西部や神奈川県のキャンパスであれば、千葉、埼玉県からの学生には不便だし、埼玉方面だと神奈川、千葉方面からの学生には不便。必然的に学生集めも偏らざるを得ない。対して都心であれば、いずれからもそこそこ便利であり、より幅広く、多くの学生を集められるのである。
大学にとり一般企業の粗利に当たる「帰属収入」のおよそ8割は、受験手数料、入学時納付金、それに授業料から成り立っており、受験生の確保、入学者の確保は死活問題といってよい。ブランド校となると、それ以上に国家試験への合格者数、有名企業への就職者数が課題となり、そのためには優秀な学生の確保が必須となる。“団塊世代”時代の200万人ならともかく、いまや18歳人口120万人時代。それだけに優秀な人材を数多く確保するのは、きわめて難しくなっている。
●定員確保という経営的問題
ほかにも都心回帰が相次ぐ理由として、1〜2年生と、3〜4年生のキャンパスが分断されていると、早期の専門教育ができづらく、ひいては法科大学院や経営大学院、あるいは会計大学院といった専門職大学院と学部との連結が難しくなり、ただでさえ経営的に厳しい大学院の定員確保ができづらくなるなどという経営的問題も、都心回帰の背後にはある。
別の視点から大学の都心回帰を促進しているものとして、行政や社会環境の変化も見逃せない。
90年代以降、文部科学省は都心部の空洞化といった現象もあり、既存キャンパスにおける校舎高層化による学部新設や定員の増加を認めた。結果、明治大学駿河台キャンパス(東京都千代田区)のリバティタワーや法政大学市ヶ谷キャンパス(同)のボアソナードタワーなどが建てられ、学部の新設等と相まって両大学のイメージアップにつながり、受験生増加をもたらしたと評価されている。これらが嚆矢となり、00年代のキャンパス移転ブームをもたらしたと見てよいだろう。
加えて02年、首都圏既成市街地工場等規制法、並びに近畿圏既成市街地工場等規制法が廃止され、同法の対象とされてきた大学も用地取得の制限がなくなり、校舎の高層化だけでなく、キャンパス隣接地の用地取得も可能となった。もちろん、バブル崩壊以降の地価の急落も大きく後押ししたことはいうまでもない。東洋大学の白山第2キャンパスなどは、こうした制度変更により新規に買い入れた土地につくられたものである。
●都心回帰の大きな効果
では現実的に、都心回帰は大学経営にそれほど大きな効果をもたらしたのであろうか?
この点について、東洋大学の長島忠美理事長は、記者の「(予備校などに聞くと)東洋大学は『日東駒専』ブランドから一歩抜け出たとの評があるが」との質問に、次のように応えている。
「駅伝などスポーツでの活躍もあるが、文京区白山という都心に本部キャンパスを持ち、加えて受験生に関心の高い学部学科の新設・再編成を積極的に進めてきた。そうした取り組み、改革が評価されているのはありがたい」
同大では12年の受験者数こそ対前年度でマイナスになったが、08年以来、順調に受験者数を伸ばしており、偏差値も上向きのようだ。竹村牧男学長は「従来、うちの大学を受験してくれないレベルの高校からの受験生が増えてきている」と、かなりの手ごたえを感じていることを明らかにしている。他の都心回帰を現実化させた諸大学も、同様の評価をしているようだ。