年末年始のこの時期は、私のような経済アナリストにとってはこれからくる次の年がどのような年になるのかをじっくりと考える、そんな時期に相当する。その目的で何冊か、近未来の予測に関連する書籍に目を通すのがこの時期の習慣なのだが、なかでも目を引いたのが米国政府の国家情報会議で未来シナリオをまとめるチームを率いていたマシュー・バロウズ氏の著書『シフト 2035年、米国最高情報機関が予測する驚愕の未来』(ダイヤモンド社刊)という一冊である。
今回はマシュー・バロウズ氏が提供する情報をもとに、それが来年以降の未来について意味するところを私なりに噛み砕いて説明したいと思う。
そもそも米国家情報会議は大統領のために中長期的な予測を行う諮問機関で、最近まで米中央情報局CIAの機構に組み込まれていた。バロウズ氏もCIA出身である。国家情報会議が作成するレポートには、大統領向けに書かれる機密性の高い報告書以外に、4年に一度「グローバルトレンド」と呼ばれる対外的な未来予測レポートが作成され、全世界に向けて公開される。これは、いわば世界中の政治経済にかかわる人々にとって未来戦略を考えるに当たっての指針を与えるのが目的である。
そしてバロウズ氏はこれまで5回発表されたグローバルトレンドのレポートのうち、直近の2回において主筆を担当した人物だ。『シフト』は国家情報会議を離れたバロウズ氏が、過去の仕事の延長線上にある近未来のグローバルトレントについてまとめた本になる。
本稿では、『シフト』の未来予測の細部には触れない。というのは非常に多くの分野にわたる意味のある未来予測レポートなので、短いこのコラムでは触れきることができないからである。今回は『シフト』が問題提起をする一番の根源の部分について、一緒に考えてみたい。
それは、米国政府が恐れる未来の最大のリスク要因についての話である。その根源について順を追って紹介しよう。
世界中で起きている混乱の要因
まず、今世界中で起きているさまざまな困難や混乱について、バロウズ氏はそのようなショッキングな出来事の連続こそが「新しい現実である」と捉える立場で、未来を予測している。なぜ、それらがたまたま起きた不測の事態ではなく新しい現実なのか。それを引き起こす要因をバロウズ氏は4つ示している。それは、「個人へのパワーシフト」「世界の多極化」「技術革新」そして「人口爆発と気象変動」である。
後ろの3つの要因は、比較的理解しやすいだろう。以前はアメリカとロシア(旧ソ連)という二極で世界全体を語れる時代が長く続いたが、今の世界に影響を及ぼすパワーは米国、ロシア、中国、EUといった大国だけでなく、新興国から発展途上国、地域的には南米、イスラム諸国やアフリカまでより多極化している。
技術革新も近未来においては、これまでとは違う未来を形成する兆しが見え始めている。象徴的なものは、ゲノム技術やiPS細胞といった生命にかかわる技術と、人工知能がもたらす革新であろう。人口爆発と気象変動も、これからの未来に大きな変化をもたらす要因であることについて容易に想像がつく。
しかし、それらの要因よりも異質で、かつバロウズ氏が最初に挙げた「個人へのパワーシフト」とはなんだろうか。実は、このキーワードがこれまでわれわれを混乱させていた不安定でショッキングな世界の変化を引き起こしている根本的かつ最重要な要因で、ひいては米国政府が最も恐れる未来のリスク要因なのだというのである。
個人へのパワーシフト
「個人へのパワーシフト」を、私なりに噛み砕いてわかりやすく説明しよう。
過去20年で私にできることが格段に増えたと考えている。作家として、個人の立場で以前ではありえなかったほどの大量で質の高い情報を集め分析し、世の中に向けてダイレクトに考えを情報発信することができるようになった。そう感じている。私は、この20年で非常に大きいパワーを手にしたのだ。
ところがあなたもそうかもしれない。
実際にあなたがそうなのかどうかはわからないが、たとえば個人の立場で少しだけの資金を元手に株式の信用取引を始めて、自宅に何台ものPC端末を配置してプロ顔負けに株式相場を動かすぐらいの取引を仕掛けることを、あなたがそう思い立ちさえすればできていたかもしれない。
ブログやSNSを通じて日常生活をアップしているうちに、いつの間にかカリスマ的な影響力を社会にもたらすことができている人もいるだろう。
いやそんなかたちで世界を動かす存在ではなくても、スマートフォン(スマホ)とインターネットの恩恵だけを考えても、仲間たちとの日常の連絡も、買い物も、移動の手間も、以前に比べるとずっとパワーアップしているはずだ。
問題は、それが私やあなただけではないということだ。日本中の個人が以前よりもパワーを持つようになっているのだ。そして世界のレベルでみると、世界中の個人がそれぞれ以前よりもパワーを持つようになっている。
これまでの世界の安定は、権力が弱い個人の力を抑え込むことによって実現していた。バロウズ氏は、これまでの世界の混乱の多くの原因も、これから起こるであろう世界のより新たなリスクも、その多くが「個人へのパワーシフト」が引き起こすということを理解すべきだと言う。
かつて誰もが願った経済発展と科学の力で、より豊かで機会にあふれた社会が訪れる。それが現実になることで、副作用として、個人個人に大きな破壊力を与えてしまったことが、世界の安定にとって実はリスクだと言うのである。それも、アメリカを中心とする西側諸国の個人だけではなく、思想や宗教が異なる西側以外の世界により拡がっていく。そのことが、米国政府が恐れる脅威になるとバロウズ氏は言うのである。
21世紀型の脅威
個人の力が強力になることの何が悪いのか。
私が『シフト』の行間から読み取ったことを今の日本社会に当てはめてみると、確かに同じことが起きている。
政治家は国民から容赦なく批判され続ける。そのことで長期的な政策について話をする時間はなくなり、目先の問題に追われる。テレビ番組は視聴者からの過剰な反応に左右され続ける。視聴者の声はテレビ局の頭越しにスポンサーに届き、番組の内容を変更せざるを得なくなる。そしてテレビはどんどんつまらなくなり、個人が投稿した動画に皆の目が集まるように世の中が改悪されていく。
有名タレントは一般人の好奇の目に常にさらされる。プライベートな行動を見かけた情報は、すぐにネットを通じて日本のすみずみへと拡散される。誰かの目につかない小さな存在でいるほうが、今の世の中ずっと住みやすい。
そのような先に、さらに力を持った個人が出現すること。それが21世紀型の脅威だとも言う。グローバルで象徴的な問題は、テロリズム。数十人のグループが国家に対して戦争をしかけることができる世の中になってしまった。目に見える暴力ではなくても、もし非常に優れた十数人のハッカー集団がグローバルな金融システムのデータを書き換えるような力を手に入れて、それを実際に実行してしまったらどうなるだろうか。
もし数千億円の個人資産を手に入れたデイトレーダーが、ある日「上場企業を買収してオーナーとして支配しよう」と考えついて、それを実行に移してしまったら? もしそれが、私たちとはまったく違う思想、哲学、宗教の下で生まれ育った、まったく価値観が違う個人によって行われるとしたら?
この最後のポイントが、バロウズ氏が一番強調している点である。
15年がどういう年だったかというと、実は過去300年ではじめて欧米の中間層とアジアの中間層が数の上で均衡した年だった。今後は中国の中間層が数でアメリカを圧倒し、その中国も10年かけてインドに抜かれる。インドは中国よりもずっと若年人口の増加が大きく、かつ所得配分が中国よりは平等だと考えられるからだ。
インド、中国以外の世界でも非西洋的、非アメリカ的、そして非日本的な考え方をする国家で、個人としてのパワーが増大した中間層が増えていく。
その力を持ったたくさんの人口が、世界の脅威にもなりうる新しい時代に私たちは直面していることを強く認識すべきだと、バロウズ氏は言うのである。
(文=鈴木貴博/百年コンサルティング代表取締役)