中国では、新型コロナウイルスの感染者数の増加ペースが弱まったものの、いまだ未曾有の厳戒態勢が続いている。中国政府は、1月23日から武漢市を含む湖北省(人口約6000万人)を完全閉鎖し、住民に無期限の自宅待機を義務づけたが、その後、武漢市からの人の移動で発症者が出始めている約80の大都市と2つの省にも同様の封鎖措置を断行した。これにより中国の人口の3分の1に当たる約4億人の人々が不自由な生活を強いられている。
このような強硬措置にもかかわらず、武漢市での感染者の致死率は4%を超え、湖北省全体でも3%に上っている。中国以外の国々では0%台であることに鑑みれば、恐ろしく高い数字である。
新型コロナウイルスについては、いまだにわかっていないことが少なくないが、武漢市など湖北省の公衆衛生のレベルが低かったことが関係しているのではないだろうか。貧しい国々が豊かになり始めるときには、公衆衛生の改善がなされるのが常である。これにより、清潔な水や十分な栄養などにアクセスできる人が大幅に増加する。世界の平均寿命は1950年の46歳から現在は72歳に伸びているが、その大きな要因は公衆衛生の改善である。しかし国が豊かになっても、公衆衛生のインフラ整備がないがしろにされてしまうケースも少なくない。
武漢市は近年急成長を遂げたが、医療体制を始めとする公衆衛生への取り組みが不十分だったことが指摘されている。武漢市の食品供給網は概して管理が甘く、不衛生な海鮮市場が新型コロナウイルスの感染拡大を助長したようだ。急速な都市化への対応に加えて、一般市民の公衆衛生に関する意識が高かったとはいえない。
中国政府は公衆衛生対策をまったく無視していたわけではないが、つい最近まで高速鉄道や最新鋭の兵器といった派手な目標にずっと多くのエネルギーを注いできた事実は否めないだろう。長年の不作為が災いして、中国政府が手荒な措置を講じざるを得ない状況に追い込まれたことで、今後、中国が経済的に大きな痛手を被るのは必至の情勢になっている。
30年ぶりの景気後退となる可能性
筆者が最も懸念しているのは、中国経済の屋台骨とも言える不動産市場である。中国の不動産市場は43兆ドル規模に上り、国内総生産(GDP)の4分の1を占めるとの推計がある(2月10日付フィナンシャルタイムズ)。中国の証券会社は2月11日、国内の36都市の新築集合住宅販売状況に関する報告を発表した。それによれば、2月第1週の販売件数が前年比90%減となった。中国の大手不動産会社によれば、同期間中の北京市では1日当たりの販売件数が4件にまで激減した(新型コロナウイルスの感染拡大以前の1日当たりの件数は100件以上だった)。
住宅市場調査会社が7日に公表した資料によれば、旧正月の連休(1月24~30日)中の杭州市など10都市の中古住宅の成約件数はゼロだった。中国各地の外出や移動規制により、住宅購入希望者が物件を見学できないばかりか、経済の先行き不透明感から物件の購入を諦める事態が相次いでいるのである。
1990年代以降、常に高い成長を謳歌してきた中国経済だが、今回の新型コロナウイルスの感染拡大で30年ぶりの景気後退となる可能性が高い。公式のGDP成長率はプラス圏を維持するだろうが、普通の景気後退すら経験していない多くの中国人にとって、この経済の冷え込みは大きな心の傷を残すのではないだろうか。
加えて「世界第2位の経済大国になったのに、公衆衛生レベルは発展途上国並みで、政府は人民の生命の安全を保障できない」ことを痛感した都市部の住民が、新型コロナウイルスの感染拡大が抑制された後に、これまでと同様に不動産投資を続けるとは思えない。前述の調査会社が行ったアンケートで「多くの不動産企業は今年第1四半期の取引件数は大幅に減少すると見込んでいる」ことが明らかになっている。そうなれば、いよいよ中国の不動産バブルの崩壊が始まるのではないだろうか。
新型肺炎によって取引が止まり、不動産開発会社は多額の債務の返済が困難になりつつあり(2月4日付ロイター)、このままの状態が続けば過剰な債務を抱えるデべロッパーの大量倒産が発生するのは火を見るより明らかである。
中国銀行保険監督管理委員会は7日、「新型コロナウイルスの感染拡大によって銀行の不良債権比率は上昇する」と述べた。300を超える中国企業が新型コロナウイルスの悪影響を和らげるため、少なくとも82億ドルの銀行融資を申請していることが明らかになっている(2月10日付ロイター)。この動きにゾンビ企業の典型といわれている不動産開発会社が加われば、中国の金融システムが麻痺してしまう。
「中国の銀行システムは6兆ドル規模の不良債権を抱えることになる」という恐ろしいシナリオが浮上しており(2月11日付ZeroHedge)、長年指摘されてきた中国発の金融危機が現実味を帯びてきているのである。
中国の専門家は「中国国内の新型コロナウイルスの流行は2月にピークを迎え、4月頃に終息する可能性がある」と予想しているが、2月中旬以降に経済活動が再開されれば、中国国内での感染が再び拡大する恐れがある。新型コロナウイルスの悪影響が長引けば長引くほど、世界経済を牽引するまでに急成長した中国経済の危険が高まるのは間違いない。
(文=藤和彦/経済産業研究所上席研究員)