大阪府知事・大阪市長を歴任した橋下徹氏が、6月7日にツイッターのアカウントを変更した。新アカウントでは、それまで橋下前市長の旗印でもあった「ishin」が削除されている。
2008年に大阪府知事に就任して以来、橋下氏は大阪府のみならず関西一円で圧倒的な支持を得てきた。橋下現象ともいわれる異様な人気を背景に、10年には大阪維新の会を立ち上げ、国政進出も実現した。府知事当選から3年後の11年には、橋下氏は大阪市長選に出馬するという異例の行動にも打って出ている。府知事選と市長選が同時に実施された大阪W選を制した橋下氏は、悲願としてきた大阪都構想を前進させた。
しかし、ようやく漕ぎつけた15年の住民投票では、大阪都構想はあっけなく否決された。住民投票の結果を受け、橋下氏は政界からの引退を示唆した。市長退任後、橋下氏は選挙には出馬せずに自らが立ち上げた地域政党「おおさか維新の会」の法律政策顧問に就任。本人は私人としながらも、安倍晋三首相や菅義偉官房長官と会食するなど、政界に一定の影響力を及ぼし続けた。
それだけに、ツイッターアカウントから「ishin」が消失したことは、永田町界隈でも大きな憶測を呼ぶことになったわけだが、これまで橋下氏に付き従ってきた維新の議員たちの動揺は大きなものがあった。ある永田町関係者は言う。
「一部の自民党議員には橋下氏を快く思っていない人もいるようですが、永田町における存在感はいまだ抜群。安倍政権とも近い距離にあるので、『安倍内閣に民間人閣僚として起用されるのではないか?』という噂も絶えなかった」
閣僚起用をめぐっては、総務大臣、文科大臣、地方創生担当大臣、オリンピック担当大臣という具体的なポジションもたびたび浮上していただけに、永田町では信憑性の高い話として流布してきた。
オワコン化する大阪都構想
そんな橋下氏が維新の法律顧問を退任したことで、維新との距離は微妙に離れつつある。それだけに、橋下氏肝煎りの政策だった大阪都構想の見通しも不鮮明になり始めた。
11年のW選のときから橋下氏は繰り返し「大阪都構想は、大阪を成長させるエンジン」と街頭演説などで訴えてきた。一方、地方自治制度を所管する総務省は当初から大阪都構想に冷ややかだ。総務省には、有識者が地方制度の今後を話し合い、政府の方針を打ち出す地方制度調査会という審議会がある。地方制度調査会では主に地方分権を進める方針が話し合われているが、大阪都構想は地方制度調査会から一蹴されている。