3人以外にこれから執行を迎えるはずの3人、つまり死刑判決を受けた6人の元信者に僕は面会した。手紙のやりとりを続けた。事件について質問し、彼らは悩み、一緒に考えた。時には視点が食い違った。議論した。でもひとつだけ言えること。邪悪で冷酷だから人を殺したわけではない。洗脳されて自分の感情や理性を失っていたからサリンを散布したわけでもない。組織に帰属すること。組織に従属して個を捨てること。それによって凡庸な悪は発動する(オウムの場合は、死と生を倒置する信仰のリスクもここに重なった)。
その意味でオウムの事件はホロコーストと同様に、あるいは多くの虐殺や戦争と同様に、集団に帰属して生きることを選択したホモ・サピエンスが遺伝子的に内在する大きなリスクをくっきりと提示した事件であり、宗教が持つ本質的な危うさを明確に露呈した事件でもあった。でも結果として、この社会は事件の解釈を間違えた。いや解釈を拒絶した。そして司法とメディアは社会に従属した。僕はそう思っている。
ヒトラーはベルリン陥落とともに自害した。実のところ、彼がホロコーストを指示した証拠はない。ニュルンベルク裁判に当たって連合国側は必死にヒトラーの実務的な関与を示す文書を探したが、結局は発見できなかった。だからといってヒトラーがホロコーストと無関係とは誰も思わない。残された彼の言葉や文章には、明らかにユダヤ人蔑視の思想が現れている。
法廷におけるアイヒマンの証言は、600万人のユダヤ人を殺害したホロコーストを解明するうえで、今も重要な補助線になっている。人は邪悪で狂暴だから悪事をなすのではない。集団の一部になって個の思考や煩悶を停めたとき、壮大な悪事をなす場合があるのだ。これに気づいたとき、惨劇や事件は歴史的教訓の骨格を獲得し、発生時に喧伝された特異性だけではなく、後世に残る普遍性を示すことができる。それは誰のためか。オウムや麻原のためではない。僕たちのためだ。
ただし補助線は補助線だ。本線ではない。もしもヒトラーが自害していなければ、法廷でその証言を聞けたはずだ。いわばそれが本線だ。しかし現実にはニュルンベルク裁判は、ヒトラー不在のままで進められた。最後のとどめを刺しきれなかった。だからこそ今もネオナチやヒトラー崇拝的な思想は世界に燻り続け、ホロコーストやナチズムに対して歴史修正的な史観が亡霊のように立ち現れる。
でも麻原は生きていた。ならば治療して語らせるべきだった。大量殺戮の指示をあなたは本当に下したのか。もし指示を下したのならその動機は何か。日本を征服するなどと本気で考えていたのか。あるいは言葉の食い違いがあったのか。あなたの直接的な指示を聞いたのは刺殺された村井幹部だけだ。彼にあなたはどのように伝えたのか。被害者や遺族に対しての言葉はないのか。一緒に処刑される弟子たちに対して今は何を思うのか。こんな事件さえ起こしていなければ、あなたは今も教祖でいられたはずだ。オウムが壊滅することをなぜ想定しなかったのか。あるいは(処刑された中川死刑囚が僕に教えてくれたように)むしろオウムを壊滅させようとしたのか。だとしたらその理由は何か。動機は何か。オウム以降にセキュリティ意識を過剰に発動して集団化を加速させた日本社会について、今はどのように思っているのか。